ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6150、閑話小題 〜実際の降雪量は例年に比べ…
一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島
に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は
広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。
今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、
中国に対して大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰される!
・・・・・・
5053,閑話小題 ー古希ですか!
2015年01月14日(水)
  * 古希ですか! 〜ちろりちろり、浮世は風波の一葉よ
 明日で古稀。還暦ほどではないが大きな目安である。よくぞ無事?に到達した
もの。身近の人をみていると、酒量の多い人は大方が70歳前半までに亡くなる。
それでも生きているの人は、刃物が入っている人?
 60歳を超える頃から、滑り台を下りるように、姿形と、内面の衰えが目立つ。
仏壇に祖父母の50歳代半ばの晩年の遺影があるが、私より一回りも下とは!
気持ちは実際、50歳後半で止まったまま。気持ちがより老化をすると思っていた。
 ところで、古希は、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩
「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。
(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。
還暦は数えの61歳(満60歳)だが、古希は数えの70歳(満69歳)。 
1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止ると、当時の大相撲
ラジオ中継のアナウンサーがこれを引用し「やはり七十古来稀なり」
との名言が全国に放送されたという。父親の行年が満71歳。それまで、
あと2年になった。人生の元は、還暦までに充分にとった実感がある。
9年間で余白も埋めた感もある。「それでも何か侘しい」
という思いは意外と少ない。
 ところで、古稀といえば、以前、ここでテーマにした
『閑吟集 四九〜五五』を思い出した。
  世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり   (49)
  何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ(50)
  何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51)
  ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
                   あぢきなの世や (52)
  夢幻や 南無三宝(53)
  くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54)
  何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ     (55)
現在の私の心境は、まさに、このまま。 一期の夢と思いつつ、
うつつ顔して狂えなかった自分が、冷たく笑っている。まさに、
『 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
 あぢきなの世や 夢幻や 南無三宝 』である。ちんちろりん!
・・・・・・
5418,人生で最も大切な技術 ーA
2016年01月14日(木)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ・リカール著
  *「いのち」が存在の実相、「わたし」はフィクション!
 昨日、「人生でもっとも大切な技術ーA」をテーマに書いた。
ところが、去年の同月同日の{ 5052,生と死をめぐる断想 ー5
『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) の内容の一節が、リカールの
幸福論につながる丁度よい答えであった。
< 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。
「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。
 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。「いのち」が
「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。>
何気ない言葉だが、幸福とは、この「いのち」に気づき、一体化した状態で
はないか!と。・・> 
 ある作家が、末期ガンを宣告され、呆然として2Fにある喫茶店の窓から、
帰路を急ぐ多くの群衆を見ていて、「私ひとりだけ消え去る」恐怖を
書いていた。群集にみえた、「いのち」と、消え去っていく「じぶん」の

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01月14日(日)
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