ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6148,閑話小題 〜座禅は心の安楽死 ー3
あるにもかかわらず強いリアリティを持っているように。… ≫

▼ 前準備を含めて50年以上の実務を終えて第二か、第三の人生を踏み出して
 7年間、心の底では輪廻転生を繰返していたような。因果応報のカエリ矢が、
次々と… これでも、後味の悪くなることは、極力、避けてきたが。
恐ろしい自分の言葉の刃が、自己被虐、自己嫌悪として向けられる。成るほど、
現生だけでは解決できないはずだ。 ヒトラー、スターリン、毛沢東を考え合わ
せると分かるだろう。殺した数だけ、転生が必要である。生臭い彼らの魂が、今
でも漂っているとすると…。心に疚しいことは最小のはずだったが 娑婆娑婆!
 
・・・・・・
2001/12/19
[70] 夢についてー2
 「何か欲しい!とか、どこかに行きたい」といかいう夢と、夜見る夢との
共通点が非常に多い。トイレを探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいき
たい状況である。 次の夢は不思議な不思議な夢だ。‘母とか父が死んだ後も
自分のなかに生きている!’というが、私にとって、夢の中で、実際生きている。
痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。それは正しく母が
私の中で事実生きているのだ。 ↓に以前書いた文章をコピーしてきます;。
――
2001/12/19
[69] 夢について−1
 夢分析も非常に奥行きの深いテーマだ。
年に一〜二回熊に追われている夢を見る。熊に追われて二階‐三階の部屋に
逃げるが、どこまでも追いかけてくる。そこで目がさめるという内容である。
熊は現実の問題の変形、逃げているのは恐怖心・不安である。誰も?経験する
夢のようだが。 一度凄い夢を見た。
 以下、10年以上前に社内報に書いた文章をコピー。
ーー
霊的体験‐                 
平成4年 7月
 二十年近く前になるが、父の死後の四九日まで何度か不思議な体験をした。
死後一週間後位か妙な夢。私自身が父の気持になり “死にたくない。もっと
生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢。
 夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身で、実感できたのである。 父が‘なんだ自分はこうして生きているでは
ないか’という内的実感。夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になった
という不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからない。
 その二〜三日後の夢も強烈な夢(?)。何やしら強烈な恐怖感が覆ってきた。
その時、父のベットで寝ていたが、思わず“おやじ助けて!”と言った瞬間、
廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が足をひっぱられた瞬間、ベットに
しがみついた。 その時、隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事が多くある…。 
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。                                      2001/06/30
ーー
2003/04/25
不思議-シンクロニシテー
・以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で
不思議なことがおこることが多い。不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回
はある。先日も葬式から帰った後に散歩にでると、過去15年以上を散歩をして
いるコースで初めて大きな虹を見た。 ああまた出たという感覚である。
 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時のこと。
葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、その下
を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論
はじめてである。 
・前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前、近くの分家にあたる従兄が自死
した時のある現象である。納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が
舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになっていた。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。
天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、納棺の時間が偶然に

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01月12日(金)
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