ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6007,閑話小題 〜水難事故って、本当?
でも、良かった。 次は2020年の「東京オリンピック」に向けて動き出す。
 目安は金メダルが25個辺りか。オリンピック委員会も、開催国に金をもたらす
追加種目を宛がうのは周知のこと。 4年後は、世界はテロや戦争で、混乱が
激しくなっているはず。 テロの効率からみて、ISに狙われて不思議でない。
 私の寿命は、その辺りと設定しているので、健康状態で迎えられるかどうか。
冬季(12月〜3月)を除いて一日、3時間は運動をしているが、問題は酒量。

・・・・・・
5277,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー@
2015年08月26日(水)
       ーその時、言葉は私の「神」となる (新潮45/6月号)
               〜心肺停止になって考えたこと! 
   * 人生の価値とは何か
 生死の境目で、彼女(中村うさぎ)は大きく変わった?
『何を成し遂げたかでなく、如何に生きたか』というが、実は人生は、
『何を成し遂げようとして如何に生きたか』である。ただノンベンダラリ
という生き方も、あるとしても。同じ人生なら、何かを目指し、問題解決を
し尽くし、燃焼した生きかたを私は選ぶ。女無頼派作家が心肺停止で見えた
ことは・・ 挫折、問題こそ価値の源ということ。 〜その辺りから〜
≪ 我々はそれぞれが自分なりの方法で己を表現しながら生きている。
 そもそも「生きる」こと自体が表現なのである。どう生きたかを見れば、
その人物の価値観や世界観がわかる。生きていく過程でどんな選択をしたか、
何を大切にし、何を捨てたか。その選択や行為によって形作られていく人生
こそが、その人の作品なのだ。
むろん、本人が作りたいと望んだ作品と出来上った作品は、似ても似つかぬ
ものになっていることもあるだろう。さまざまな要因によって人生はその形を
変え、思いも寄らない方向に転がっていったりするからだ。
それゆえ多くの者は、人生の後半において「こんなはずじゃなかった」と
臍を噛む想いに打ちのめされる。だが、それでもその人生は、「私の作品」だ。
不可抗力的な外的要因で捻じ曲げられても、そこで我々が下した判断や選択は、
まぎれもなく我々自身のものだからだ。ままならないことも含めて、「人生」
である。そして、その「人生」は、よくも悪くも、我々自身を見事に反映して
いるのだ。 私の人生は、私そのものである。
 このように考えると、「いかに生きるか」という問題が我々にとってどれだけ
重要であるか気づかされる。組織内や世間の評価を得ることに血道をあげようが、
世間に背を向けて自分だけの世界を作り上げようが、それは各人の自由であるが、
その目標のためにどんなことをしたのか、己の中のどの欲望を優先したのか、
その欲望を自分自身がどこまで明確に把握していたのか、そこが問われることに
なるのだと思う。 己の人生を「いかに生きるか」に、我々は責任を取らねば
ならないのだ。・・(略) どんな人生であろうとその人にとってはかけがえ
のないものであるし、何の業績も残さずとも本人か精一杯生きれぱ、そこに必ず
価値が生ずる。問題はその人が何も考えずにだらだらと生きたか、己や他者や
いろいろなものと格闘しながら悩み苦しみ葛藤を繰り返して生きてきたか、だ。
たとえ挫折や失敗ばかりの人生であったとしても、その挫折や失敗は絶対に
無駄ではないのだ。そう、そこには必ず意味も価値もある。
「何を為し遂げたか」という結果ばかりに目を奪われて「どう生きたか」という
過程を見落とすと、この世の多くの人の人生は無価値という結論になる。
何事かを為し得る人間など、ほんのひと握りだからだ。そのような価値観で生き
ていたら、「結果を出さなきゃ自分には価値がない」という強迫観念の虜となり、
己の人生を正当に評価できなくなるのではないか。若い人の悩みを聞いていると、
多くがこの強迫観念に取り葱かれていて、「何者かにならなくちゃ」
「何事かを為さなくちゃ」と焦っている。まあ、若いうちはそういう悩むのも
ひとつの過程と思うが、彼ら彼女らにいずれは気づいて欲しい。

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08月26日(土)
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