ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5979,自分を超える法 〜1 ー読書日記
B「早く元気になってね」 :元気になったところで、何になる?
C「あなたの苦しみがよく理解できる」:人それぞれ、分かる訳がない!
D「あなただけじゃない」「あなたのほうがまし」:と、思っているだけ。
E「もう立ち直れた?」 :立ち直れる訳がない
F「時がすべてを癒すから大丈夫」:これも人さまざま。
G「(亡くなった方が)長い間、苦しまなくてよかったね」:関係ないだろう。
H「悪業の報いだ」「先祖のたたりだろう」:事実を敢えて言うなよ。
「にもかかわらず(ドイツ語で"trotzdem")」人生を肯定する、ユーモアの心を
持つことの大切さを美しい日本語で優しく語り掛けます。私自身、最近悩みが
多く、そういう中、この本から大いに慰めを受けました。
クリスチャンでない人にも、混迷や暗闇の中で生きる意味と希望を見出す
灯火となるような本です。聖書の次の言葉も本書に引用されていますが、
まさに真実です。「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。
わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を
生むということを。」(新約聖書ローマの信徒への手紙)⇒P.28。≫
▼ 遅かれ早かれ、誰もが通る道。 あくまで、死は二人称の問題。
『ご苦労様』が、故人にとって、肉親にとって、適切な言葉だろう。
「何がご苦労様やねん」と言えば、それもそうだが。とすると、これも理屈
だが、@「もう、がんばらなくてよいよ」A「泣くだけ泣いて」Bゆっくり
休んでC人生これからよD後は自分だけよE立ち直れなくてよいよ ・・
と、つづくが。 『ご愁傷様!』以外、何も言わないのが思いやりか!
・・・・・・
5249,哲学は生の芸術だ 〜ニーチェ「超」入門〜
2015年07月29日(水)
〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
* 哲学は生の芸術だ
「その人の生き方が、哲学そのもの」とすると、その人生が芸術作品になる。
それは人生を俯瞰すれば、わかる。ということは、志、信念、信条が、その人の
シナリオになる。生き様が、そのまま芸術作品ということになる! 〜p19
≪ ・・哲学は「真理を追求する」学問だと考えられている。高校の倫理社会
の教師や大学の先生たちが教壇の上で今でもそう言っているし、簡単そうな
哲学解説書にもそう記されているので、みんなそう思ってしまう。
ところがだ、二ーチェはまったくそんなふうには思っていなかったのだ。
「哲学は論理の正しさがどうのこうのというものではないし、そもそも
哲学は学問ですらない」とニーチェは考えたのだ。
ニーチェは、哲学は人間が今ここに生きるべき生の本質だと考えた。
生き方が哲学だと思っていた。真理がどうのこうのではなく、まず生き方を
二ーチェは重要視する。だから、論理が正しいから真理だという考え方はしない。
この生き方が人間としてまっとうかどうかということを問題にする。
このまっとうさとは、社会的、倫理的、宗教的な真摯さの意味ではない。
人間本来のまっとうさを具現化しているかということだ。
だから、人間はどうあるべきかということをニーチェは生涯をかけて考え、
あとで説明することになるが、人は超人として生きるべきだと考え至った。
さらに二ーチェは若い頃から、
「哲学は芸術的なものであるべきだ」とも考えていた。バーゼル大学での
就任講演ではすでにこう述べていた。
「きわめて日常的なものが、まったく新しい魅力をもって立ちあらわれてくる
こと、いな、まるで魔法の力にかかったように、たったいま生まれたものの
ように、いま初めて体験されるもののように見えるということこそ、
学問と芸術の共通点である」(秋山英夫「思想するニーチェ一)
伝統とでもいうべき緻密で乾いた論理の果てに見出されたものが哲学では
なく、哲学は生の芸術に貢献すべきものなのだ。ニーチェは知入への手紙
(1888・5/4)で「われわれ哲学者は芸術家と取り違えられるほうが嬉しい」
とさえ記している。これほどユニークな哲学観を持っていた二ーチェの言葉を、
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07月29日(土)
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