ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5833,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −3
エゴの幻想に陥り、群集の中で孤独を感じる。あらゆる事象には相互依存性が
あることを理解する人は、決して孤独に陥らない。 
 隠遁者を例にしよう。たった一人で過ごすにもかかわらず、宇宙のすべてと
調和し、一致していると感じることができるのである。
 注意力が散漫で集中できない人にとって、時間は、混乱した心に入り込む
物憂げな環境音楽のようなもので、まったく無為無益なものになる。
このタイプをセネカは次のように表現している。その人は、長く生きたのでは
なく、長く存在したに過ぎない。航海に出た途端に嵐に遭遇し、あらゆる方角
から絶え間なく吹きつける強風に翻弄され、同じ誹をぐるぐると回鄭している
状態を、長期航海と言えるだろうか。そのような人生は、航海ではなしに運命
による翻弄と呼ぶに相応しい」。≫
  * 楽観論の真の意味
≪楽観論には非常に深い次元がある。すなわち、人間の置かれた状況の如何
 を 問わず、あらゆる人間には変革への可能性があり、それを現実化できる。
その次元を指している。他ならぬこの可能性が、生きることに意味を与えて
くれるのである。人生はほとんど価値がない、と考えるのが究極の悲観論で、
逆境であれ歓喜の時であれ、一瞬一瞬が宝であることを理解するのが究極の
楽観論である。両者の違いは、単なるニュアンスの違いではなく、物事の見方
が根本的に違うという点が強調されるべきだろう。人間がどちらの見方をする
ようになるかは、心に平和をもたらし、それを強めることができる充足感を
自分の中に見出しているかどうか、で決まるのである。≫
▼ 一瞬一瞬が宝ということは、歓喜の瞬間こそお宝ということ。感動は、
 人を変える力がある。その蓄積は、決して減ることがなく、歓喜を呼寄せる
力を持つ。
・・・・・・
5103,悪夢の21世紀 ー7
2015年03月05日(木)
    * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜�
   ー価値は、すべての観点から見たものに過ぎないー
 「価値」を、一つの点に修練される「遠近法」の、それぞれの立ち位置
 の観点でしかない、というのも面白い! 今まで「価値」の意味の解釈で、
 最も合点がいく。情報化で、それぞれが違った立居地から情報の受発信が
 出来るため、それが逆にニヒリズムを起因する。 
(13) ≪ 誰もが、広い意味で、何かの「専門家」になってしまっていて、
 特定の論点にしか関心を持てなくなってしまった。それぞれの観点を総合
 することが出来ないのである。かくて、我々の世界像は、巨大なピカソ状の
 壁画のようなもので、そこには統一もなければ、まともな論争も生じない。
 全てがちぐはぐだ。それこそ、ニヒリズムの特質で、ニーチェも言うように、
 ニヒリズムとは、統一も、目的も、真理も失われた状態である。≫
(14)≪『ではどうすればよいのか。このニヒリズムの時代には、残念ながら
 容易に答えなど見つけられるすべもないのです。ニーチェは、価値は、全て
 ある観点から見たものに過ぎない、といいました。確かな真理などという
 ものはない。ただ、様々なパースペクティヴ(= 観点、見方)があるだけだ、
 というのです。われわれは、結局、特定のある「パースペクティヴ」から
 見ているに過ぎない、というわけです。その意味では、誰もがある特定の
 専門家もどきにならざるを得ません。それはそうでしょう。そのことが悪い
 わけでもないのです。・・ 「パースペクティヴ」といったときには、
 すでにおぼろげながら、ある遠近法が忍び込んでいるのではないでしょうか。
 ある特定の観点、という自覚そのものが、おぼろげながら遠近法を想定して
 いるのではないでしょうか。少なくとも、様々な「パースペクティヴ」が
 バラバラになっては困るのです。それらの観点が文字通り、ひとつの点に
 収斂してくれなければ困るのです。・・この遠近法の収束点を与えるものは、
 やなり、我々の構想力以外には無い。この構想力は、決してグローバルな
 市場競争や大衆化した民主主義や新しい技術革新の延長上に置かれるもの

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03月05日(日)
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