ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5815,緩和小題 〜しまった! ー見れど見えずー 3
それにしても酷い。ここで書いている内容も、ずれたことを書いている可能性
がある。一度、言葉にして書出してしまうと、消すことが出来ないため、
アップする直前に精査をしているが、完成に全エネルギーを使い果たし、
もたらす影響の配慮まで十分かける余裕がないことも確か。とはいえ、
何年後の私の目線とビュアーに納得させるためは、ある程度は際どくして
おかないとの気持ちもある。御隠居の気楽さは良いが、底知れぬ生老病死の
問題が段々、深刻になっていくようだ。他人様は見えても、自分は見えず。
この会で、「今年の抱負は?」というテーマで、数分スピーチがあった。
本来は新年に考えておかなければならない重要なテーマ。そこで、順がくる
まで考えた。で、出てきたのは、『もっともっと楽しむ!』である。
昨日書いた誰か?のように、頭を空にし、『さて、今日は何を楽しむか?』
と、無心に生きればよいが・・ 探せば、面白いことは幾らでもある。
問題は、その選択能力。人は生きてきたように生きるしかない!
去年も書いたが、ここに、新大医学部二年生が参加している。
平均60数歳中で、良くぞと感心する。当人の一年終了後の一年間の休学は、
理想的に思える。これは長くなるので次回のテーマにする。
ところで、当初からの会員の一人に、『ブログから、楽しくて仕方がない
気持ちが、あふれ出ている』と、言われた。 それで、今年の抱負に、
『もっと楽しく!』と言ったが、『楽しく生きる一日一話』が、偶然あった。
・・・・・・
5085,真の友人 ー楽しく生きる一日一話 〜�
2015年02月15日(日)
* 真の友人 【本日「いいかげん」日和 】ひろさちや (著)
私に真の友人がいただろうか? 学生時代からの友人が存在するし、
仕事での付合いから、気心が知れた人が何人かいる。そういう人は、年に
一度か、数年に一度しか会わないが、それで十分。この随想日記は、一方的
に、友人にトッテオキの情報を知らせる感覚で書いている。 その意味で、
ビュアーは私と会っていると同じ? しかし残念ながら、知人で同じ感覚で
ブログを書いている人はいない。今ではソーシャル・ネットワークもあるが、
何か参加する気になれない。 ー以下のドイツ人の友人観に同感するー
≪ ある日本人がドイツ人に尋ねられた。
「あなたに友人はどれくらいいますか」
日本人は、『さあ、百人か二百人くらい……」と答えたが、
それを聞いてドイツ人は驚いたという。
ドイツでは、その人のために自分を犠牲にできる人
――自分が何も言わなくても、自分をわかってくれる人――
この二つの条件が満たされて、はじめて「友人」と言えるそうだ。
だとすれば、百人も二百人も友人がいるわけがない。
ドイツ人が驚くのも無理はない。
わたしたち日本人は、いささか「友人」を安売りしているのではないか…。
簡単に友人ができる、友人をつくれる、と思い込んでいる。
だから、自分に友人がいないとさびしくなる。
しかし、真の「友人」というものは、一生に一人得られるか否か、
といった存在なのだ。そう考えると、いま自分に「友人」がいなくても
悲しむ必要はない。これから死ぬまでのあいだに、真の「友人」に
めぐりあえぱいいからである。きっとチャンスはあるであろう。 ≫
▼ 以前、トーク番組で、『私には友人がいません!』といってのけ、
周囲が一瞬、静寂になった、のが印象的だった。これを公然と言放つには
強さが必要である。20歳時に、両親の後姿から、創業を決意した時から、
自ら友情を求めない孤独業、一種の自閉症になっていた。といえ、友人は
存在していたが。 創業を決意して見えるのは、自分の卑小、無能だけ。
しかし、今さら後には退けない袋小路で、その都度、友人ができていった。
・・・・・・
720,シェールガス革命 ー1
2014年02月15日(土)
数年来、アメリカのシェールガス革命がマスコミで取り上げられた。
アメリカ国内で格安のシェールガスが生産され、エネルギー確保のための原油
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02月15日(水)
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