ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5637, かわいい自分に旅させよ ー③
われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自己自身と異なったもの」
になりたいと熱望する。そして、「真に欲していて、それを持つことができない
ものの代用品」を追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分を
引ぎ離し、文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる
部門に熱狂の噴出がある」のであり、「社会組織そのものが、一般に、心の病
に冒されやすい、すぐ燃えやすい体質になってしまった」とホッファーは洞察。
本書に鮮やかに描かれているように、この簡潔で力強い分析の源泉は、
彼自身の浮浪者としての原初的な生活の中にあった。
「金がつきたらまた仕事に戻らなければならない」生活に自殺未遂をするほど
うんざりしながらも、それを克服して「旅としての人生」を生き抜いていく
ホッファー、その彼は、季節労働者キャンプでのささいな出来事から、
自分も他ならぬその一員の「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き始める。
そして、彼ら固有の自己嫌悪が放出する「生存競争よりもはるかに強い
エネルギー」こそが、人間の運命を形作るうえで支配的な役割を果たしている
のであり、「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことが、
人間の独自性であるという洞察に到達するのである。
 ここで本書の歴史的な背景に少し目を転じてみると、ホッファーは
路上にあった1930年のカリフォルニアには、浮浪者がかなりたくさんいた。
F・L・アレンの『ジンス・イエズタディ』(1939年)が記している、その原因
のひとつは、テキサス州からカナダ国境から大平原地帯で起きた異常気象。
1933年から二年余りにもわたって無数の嵐が起こり、過度の放牧で荒廃した
広大な地域で大量の砂が吹き上げられた。大恐慌ですでに苦境にあった。
この「黒い大吹雪」と大洪水によって、決定的な打撃を受ける。
 農業の崩壊は、町を衰退させ、住民は、「約束の地」西部へと逃れる。
そして、ホッファーと同年生まれのスタインベックが『怒りのぶどう』
(1939年)で鮮烈に描いたあの苦難を経験したのである。
「普通の安定した地位に留まることができず、社会の下水路へ押し流された人々」、
「居心地のよい家を捨てて荒野に向かった者たち」こうした人々の内面に欝屈する
「こんなはずではない」という不満と「別の人間になりたい」という変身願望を、
ホッファーは折に触れて感じていたのかもしれない。そして、自分の内面を
厳しく見つめ、自分が存在する歴史的世界を認識することによってこそ、
あの近代人の「情熱的な精神状態」を見抜くことができたのであろう。
 人間の抱く"情熱"の現実を見ようとしたホッファーは、常にその両面性を
指摘した思索者でもあった。われわれは、まずもって、情熱的な精神を
「創造の新秩序の発生」として見なければならない。情熱のない人間など、
その独自性を放棄した存在に等しい。しかし、同時に、それが「退行化」
そして死をも辞さない狂信になることに絶えず警戒を怠ってはならない。
 この世の悪を絶滅しようとする宗教的、民族的・イデオロギー的な熱狂の
罠に陥ってはならない。そもそも「山を動かす技術があるところでは、
山を動かす信仰は要らない」のである。
 情熱を飼いならし、加工し、創造的なカへと変容させること ーそれは、
きわめて困難な作業である。「抵抗しがたい渇望」は突然襲ってくるもの。
 しかし、われわれは、「希望」より「勇気」をもって、それをやり抜かねば
ならないのだとホッファーは訴える。自己欺隔なくして希望はないが、勇気は
理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は
長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それを
やり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、
勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の
存在になるのである。≫
▼ 考えさせられる内容である。時代に合わせ、自分を変えてるリスクと勇気
 こそが激動の世に求められる。それは常に不安定が伴うが、それを観察し、

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08月21日(日)
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