ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5562,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜④
田部井:ひづめを持っている動物は走るのに適していると思いますけれど、
人間の足は歩くためにあって、歩くから身体のいろいろなところが働く
のだなと思います。
養老:後足に頭が乗っているのはほとんど人間だけですからね。馬とかキリン
とか、みんな前足に頭が乗っているでしょう。だから、前足がコケると
頭がコケる。人間の場合、手がいくらコケても頭は平気です。 だから、
そのぶん手が余った。その手は昔から頭と関係が深いわけで、それは脳
からすれば大革命なのです。見えている風景が全然達うでしょう。 ≫
▼ 青年期には、読書や、旅行先で、様々な感動があリ、その都度、大きく
変わっていった。逆に、挫折も大きな変化をもたらした。20歳前後から、
一日、2〜5時間の読書時間を持ってきたが、魂を揺するほどの感動というと、
どれほどあっただろう? 秘境ツアーでも、何度も、その経験をした。
その都度、小さな硬い殻が壊れていき、何かから自由になっていた。
〜次の言葉も、含蓄がある。
『現実は人それぞれ。あなたの行動に影響するものが、あなたの現実です。
知識が増えても、行動に変化する影響がなければ、それは現実にはならない。
「授業を聞いて何か知っても、それによって自分が変わらなければ勉強した
ことにはならない」・・』
『知ることは自分が変わること。がんを告知されて、あと半年の命と思ったら、
同じ桜でも違って見える』
・・・・・・
4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10
2014年06月07日(土)
* 千葉・千城台ビル建設計画の着手
懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの
建設計画に入る。当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが
社長のままだった。右上がりの時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、
華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は幻滅をしていた。まず出を制して入り
を図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと信じているようだった。
実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど経っていた。
現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。
父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、
死後の相続を姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の
散財をしていたから、現在にすれば?百万になる。 逆に、生前贈与に対して、
姉夫婦には、母、実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのも
みてとれた。それが、父の死後の御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、
性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が計画に入った時点で、対立軸が、
私対姉夫婦に移っていた。創業を目指していた私には、具体的実践課題を
与えられたことになり、その成果が試されることになった。これが大変だが、
創業の第一歩が、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような日々になった。
千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、
成功させるのが、当面の課題。 まず考えたのが、この千城台のような団地の
商業ビルの転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給
公社などが開発する安い商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、
テナントを埋めた段階で、資産家に転売する事業を、思い立てた。まず千城台
ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、踏み出すことにした。
学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に乗せての
転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。これなら合致をする。
その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。
その間に父と兄夫婦の軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、
ビルをテナントで埋まることと、その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな
課題になっていた。 ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。
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06月07日(火)
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