ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5540,ドーキングスのセックス機械論
これを知っておくと、死に際の絶対孤独が和らぐのではなかろうか。同じか?

・・・・・・
5175,人生相談という気晴らし! 〜⑥
2015年05月16日(土)
           『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
  * 老いた人の絶対的孤独との向き合い方は
 ここで、自分のしたいことを誠実に熱心に追及している限り、理解者は
出てくるというが、どうだろう? 今では、ブログなど、ネットで繋がることが
可能なので、ある程度の他者と繋がることが可能だが。
≪ Q: 〜年齢とともに肥大する孤独との向き合い方〜
 六十五歳の男性です。人間、歳を取るとだんだん孤独になるものだとつくづく
実感しています。若い頃は学才に恵まれていた男が、いつのまにか「俺は文化
なんてものには興味はねえ」と野卑な口調で本性をあらわしたり、デリカシーに
欠けていた男の品性がますますひどくなったり。さらには盟友が亡くなったり…。
そんなこんなで、私はこの七〜八年ほどの間に若い頃からの友人をあらかた
失くしてしまいました。孤独であることにもそれなりの味わいはありますが、
しかし、人生、いや歳を取るということは、かくも無漸なものなのでしょうか。
歳を取ることによって生じる、どうしようもない孤独にどう対応したらいいのか?
適切なるご教示をお願いします。
  A: 〜わずかでも心の通じ合える人がいれば絶対的孤独は避けられる〜
 私は「孤独」がそれほど嫌いではなく、「それなりの味わいがある」と思って
いますので、「どう対応したらいいか」に対する直接のお答えにはならないかも
しれません。あなたの問題にされているのは、主に「他人との関係」でしょう。
それにも二つあって、1つは、人間、歳を取ると「品性」がますますひどくなる
こと、そしてもう1つは、親しい他人や愛する他人が次第に自分より先に死んで
いって、だんだん心細くなること。前者については、私も同じ印象を持ってます。
私が同年齢の男女との付き合いをかなり切っているのは、―自分はともかく―
一般的に言って中高年の「醜さ」に耐え難いからかもしれません。それに加えて、
私は「哲学」なんぞに首を突っ込んでしまったので、50や60の「普通に出来
あがった」男たちと話すことは何もないと確信しているせいでしょう。
 この歳で、妙に哲学に擦り寄ってくる老人も嫌いです。大学の教師や研究者、
あるいは物書きをしていて気が晴れることは、若い学生たちや若い研究者たちや
若い編集者たちや若い読者たちとの「交流」が、適当にあることです。
もちろん、彼らの中にも「心の醜い」輩はいますが、私の周りには総じて
「心のきれいな」人が集まります。そう自分が厳選しているからなのですが。
このことは、第二の孤独にも通底しています。私の場合、特殊とも思いますが、
自分と同世代の男女との付き合いをほとんど完全に絶っていますから、という
ことは、小学校から大学までの同級生などとの交際はないので、誰が生き残って
いるのか、誰が死んでいるかさえ(連絡がないので)わかりません。それに、
私は目上の人との付き合いは(どんな恩人でも)苦手で、これもほぼ完全に切り
捨てていますので、目下、誰が死んでもいっさい葬式に行く義務はないのです。
別に老後の孤独に備えてこう準備したわけではありませんが、私はその時々で
一緒にいて心の通じ合える人がわずかにいればそれでいい、という「刹那主義」
に徹しています。どんなに歳を取っても、自分のしたいことを誠実にかつ熱心に
追求している限り、理解者は出てきますし、その限り絶対的孤独は避けられると
思いますが……。≫
▼ 著者から肩書をとったら、「醜悪なクレーマー」と思われる。
 これまでの著書を読んでいると、クレーマーとしての信じがたい内容が
リアルに書いてある。それはそれは・・ 特に街中や電車などの騒音に敏感。
それと、著書を出し、思いを表現していると、孤独感は半減する。中島の口癖、
「いずれ直ぐ死んでしまう!」は、亡くなった友人を自分に置換えると分かる。

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05月16日(月)
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