ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5353,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー④
 この女性、銀座でランチなど千円前後で可能で、ウインドウ・ショッピング
ならタダというのを知ってか知らずか。しかし、多からずの女性が持っている
本音である。この御時勢、一千万もあれば上クラス。「おまかせ」だろうが、
「お決まり」だろうが、大して変わりはしない。要するに、それはそれ。
確かに、旦那の稼ぎで妻の生活は変わってくる。収入が多ければ、子供を有名
私立に入学可能である。それもこれも、持って生まれた器量で決まってくる。
妄想を凝視し、己を振返えれば、「つりあい」からして、その男が適当では。
・・・・・・
4988,暴走する世間 −4
2014年11月10日(月)
     「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
  * 『プチ世間』 ー小さな大人の世界の誕生
 30年前、息子を見て時代が大きく変わったと思ったが、スマートフォンが
普及した現在、更に子供が大きく変り、私たちとは断絶した別生命という感がする。
考えてみれば、私より50〜60年も長生きをするのだから、違って当然。  
  ーその辺りからー
≪ 日本では、一九八○年代にはじまり、九〇年代以降本格的に「小さな大人」
 が登場した。問題なのは、子どもが市場経済に巻きこまれ、子どもが大人と
ほとんど同じ消費生活をするようになって、子どももまた大人と同様の「世間」
に生きることになったことである。つまりそれまでは、子どもには子どもの
世界があり、それは大人の「世間」とは相対的に独自の世界であった。
しかし子どもが「小さな大人」になることによって、子どもの世界も大人の
世界と地続きになり、子どもも小さな「世間」として「プチ世間」に生きる
ことになった。要するに子どもも、「世間」に生きる大人と同じような困難な
問題に直面することになった。
 一九八○年代以降大きく変化したことといえば、子どもが「小さな大人」
になったことだが、八○年代後半以降の「いじめ」の発見は、おそらくその変化
を大人たちが敏感に感じ取った結果を反映したものといえる。大人たちは、
子どもの世界に何か大きな変化がおきていることに不安をもち、子どもを把握
できないというその不安が、子どもの世界をより強く監視管理する方向に
動かしたのだ。それまで、大人の世界とは相対的に独自のものであった子ども
の世界のいじめは、無視や、嘲笑や、からかいや、脅迫や、リンチなどといった
形で、個別的にとらえられるものであった。しかし八○年代後半以降、子どもの
世界は大人の世界と地続きとなり、子どもの「プチ世間」が登場した。
(略)・・・ この問題の解明への手がかりは、現在の少年たちの
「つながってなくちゃなんない症候群」にある。
ーある調査官はつぎのようにいう。
「今は中学生はもちろん小学校高学年ごろから群れていないと不安で、そこに
しか生きる世界がないんです。行動規範は仲のいい友だちグループの中だけで
決まって、そこから弾き出されたら生きていけない。それは、とくに女の子に
ひどい。三人グループでいたのが外れたら教室にも居場所がなくなってしまう。
そんなふうに、たがいが縛り縛られ合って、やれ携帯だメールだという
‘つながってなくちゃなんない症候群’がいよいよ強まっていますから、
自分の時間なんか持ちようがない。逆に言えば一人で行動できないように
なって、それがフツーの子として安心できる状態になっているのが現状」
(小林道雄「感受性の未熟さが非行を招く」『世界』二〇〇一年一月号)≫
▼ 大人になるまでの基礎知識や、精神的体力がない子供が、プチ世間の
 中で、子供たちは群れてないと、つながってないと、不安で息づまる
窒息感に悩むことになる。垣間見れる孫世代に背筋が寒くなることがある。
この「つなっがてなくちゃ症候群」が、世間の正体でもある。
島国で、水に恵まれた日本の閉鎖された環境を背景にした世間こそ、
全てと勘違いをするのは当然だが。これにネット上世間?で雁字搦めに
なっているのが、現在の女こどもの世界。これが21世紀の世界の一端

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11月10日(火)
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