ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5286,閑話小題 〜老人漂流社会「親子共倒れを防げ」
が残してくれていた。書くことが生きていてよいと唯一、言ってくれている気が
するから、ボクは書き続ける。脳のほうはさっぱりだけど、書くことができる。
その機会を与えてくれた友人や仕事仲間に、感謝しても感謝しても、足りない
くらいだ。本当に、ありがとう。これからもボクはつまらなくても、忘れても、
書き続けると思う。これからもずいぶん、面白い人生を送ることができそうだ。
迷惑をかけてしまうかもしれないが、これからが楽しみだ。書くことが、生きる
ことなのだ。 書いて、書いて、書きまくるぞ。 ー2013年12月 神足裕司
▼ 著者は、家族が身近に世話をしてくれているが、介護重度5の老人は
生きていること自体が拷問。これは、病院の利益、家族の無知のため、拷問の
ため生かしておくのと同じようなもの。安楽死も最近になって正面から取り
上げられるようになったが、まだまだである。 現在の私は、「知ること、
書くこと、何気ない日常を味わい楽しむこと」が、生きることになっている。
そうこう考えると、まだまだ日常生活を色濃く、その間の「ぼんやり」時間を
大事にすべきだが・・
――――
4554, 横尾忠則の老人論
2013年09月04日(水)
「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
横尾の戒老録だからこそ、風がわりで面白い。「猫背の目線」とは
「老人のものの見方」という意味である。私より10歳年上で3年前の初版で、
古希越えの経験が書いてある。 再来年に古希越えの私に丁度良い老人論。
ーアマゾン内容紹介ーより
☆ 体の声を無視した結果がストレスを起こす。老年を迎えた猫好きの
アーティストは、嫌なことはせず、好きなことだけをして生きる。少し日常の
目線をずらしてみれば、あなたも今日からできること。最新エッセイ集!
☆ 古稀を迎えた猫好きの芸術家は考えた。
「忙しいのは他人の時間に振り回されるから」「病気自慢が体を浄化する」
「努力は運命の付録のようなもの」―老年が人生を仕上げる時期ならば、
ひとつ人生を遊んでやろう、遅ればせながら隠居を実行しよう。自然に、
創造的に生きたい老若男女必読。
ー アマゾンのレビューの内容がよい!
出版社か、筆者自身?の書き込みと疑いたくなるほど、である。
《「今まで芸術と生活を二つに分けて、芸術に集中さえしていれば生活を
疎かにしたってどうってことないと考え、全てを芸術論でかためてしまう
人生観を送ってしまったところがあった。芸術は芸術の中でのみ完結する
という錯覚は、完全に幻想だったことが理解できた気がする」
この言葉が核心といっていいだろう。 若い頃から、ナルシシストで
自意識過剰の横尾は、75歳になる今年も、そこから抜けるために未だ苦労して
いる。自意識過剰から抜けるための試みの一つが、全国あちこちでやっている
公開制作である。 公開制作について横尾は「(公開制作を行っていると)
無私になる。不思議なことに雑念が去来しなくなる。『私』の意識が薄れる」
と語る。この公開制作時のテーマは「T字路」である。なぜT字路なのか?
それは62〜63歳の頃に10年ぶりに帰った故郷の西脇で、子供の頃に良く通った、
T字路に建つ模型屋が奥の壁を残して、あとは見る影もなくなっている姿に、
膝が崩れ落ちるような衝撃を感じ、そのT字路を描くことでノスタルジーを
もった「個人」から自由になり「普遍的な個」と感じるからだ。
横尾は幼児の頃に叔父の家に養子に入り、溺愛され育った。彼にとって
過去の記憶はすべてよきものと言っていいだろう。決して忘れたい過去に苦しむ
人間ではないのである。芸術と生活は別、と考えて60代にまで至ったこと
自体にに驚くが、同じくナルシシストで、「芸術と日常生活は別」と同じこと
を言っていた三島由紀夫に傾倒し多大な感化を受けていたことを考えると、
不思議ではないのかも知れない。》
▼ 横尾は「隠居は、嫌なことをしない、好きなことだけをする生き方らしい」
と、述べている。それからすれば、昔から隠居ということになる。目先、
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09月04日(金)
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