ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[384281hit]

■5217,神学と物理学と哲学の三位一体論
私から傑作作品と聞いていた 面白いものである。 10年後には、異種の
ブラックスワンの出現で・・? 話は戻るが、新規ビル建設で旧ビルを壊すことに
なったが、私の手で壊すのも大きな因縁。仮店舗への移動のため、閉店売出しで
一切を整理をした最終の夜、二階で全員で冷酒で乾杯。旧ビルへの御別れで、
飲みほした茶碗を一斉に床に叩き付けた。ところが、全ての茶碗が割れない。
長年の熱湯で強固になっていたため。茶碗にも年季が入っていることを教えられた。 
 ところで、敷地ギリギリの鉄筋ビルの解体を、どうするかに非常に興味があった。
何と各フロアの真中に5m程の穴を開け、上層から壊したコンクリートと鉄筋を
1Fに落とし、運び出す。5Fの後は、4,3,2Fと。
・・・・・・
4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
                 『怒りの作法』小川仁志 著
 * 日本人はなぜここまで怒らないのか
何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。
 ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的に
とらえられるのは、怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。
三木は憎しみは負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを
秘めた感情。  したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める
必要がある。感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それを
うまく放出することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に
暴力的言動に結びついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。
しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、
理解するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらう
ことを諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り
上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、
他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、
楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」
が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、
喜怒哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。
・「風土」論にみる日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに
上げられる。彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。
モンスーン型は、温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的のため従順な人間になる。
これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。また牧場型は、
自然を囲い込んで征服しようとするため、合理的に物事を考えるようになる。
日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型はアフリカやモンゴル。
中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。農村的なるものの
エートスは、共同体を重視するため近所と波風を立てないことが、求められる。
 あの人は、どう思うかということばかりが気になり、常に頭の中に、自分を
睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 現在の日本の社会制度はほぼ農村
出身者によって作られたもの。たとえば、学校。あれは目立たないことを教え、
人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室という名の農村。
もう一つ、気候と関連するものに地形がある。 小さな島国の日本人は、
外部に対して、まず慌て動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。
30年前の1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。
思想界では、ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を
極めていた。一緒に共通の夢「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・

[5]続きを読む

06月27日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る