ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか
と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた
話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に
なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に
見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い
である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ
ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、
それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、
こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」
という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて
こない。≫
▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。
多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、
いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空
・・・・・・
4830,「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
2014年06月05日(木)
* 「語り直し」を始めて驚いたことは
3年前の結末で、オセロゲームの駒が白から黒に変わったと思い込んでいた。
ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。
嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。
むしろ、不遇の渦中こそ、人生の醍醐味がある。ただ、気づくか気づかないか。
不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、多くの邂逅が生まれ、
味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いものである。生きてきた
課程で、日々、世界が変化している。そして自分自身も、大きく変化している。
特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢にいた頃の会社は、
最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは抽象画のような
記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、
同僚との東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、
金沢駅前の居酒屋で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・
ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。
同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から
下を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。
せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの
家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの
若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみに
なっていた。ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を
師匠に話すと、「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」
と答えると、「どっちの娘がいいの?」と! 結婚相手など微塵だに考えて
なかったので、「別に!」と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。
考えてみたら金沢での伴侶の選定も考えられた。 浅く広い、いちゃつき
レベルでは、多くの思い出はある。一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中に
こそ、多くの心の痕跡がある。それが青春ということか。人生は多くの
出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、「自分」は、その蓄積そのもの。
そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、創業以降の30年より、遥かに
エネルギーが入っていたことになる。結果が、どうであれ、野心を持って、
ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、人生の醍醐味があったようだ。
結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を自らしていたことになる。
今だから言えるが、面白い日々だった。
・・・・・・
4463, 余命半年 −1
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06月05日(金)
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