ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5171,閑話小題 〜ボ〜ッとしたデカルトの時間
これから未来へ向かって生きていこうというのに、今さらどうしようもない
過去の痕跡にかかずらっている時間はない、と。しかし本当にそうだろうか。
先ほどのTさんの話の中には、未来に向かって生きるためにもやはり、
記憶が重要なことを示唆する一幕がある。記憶喪失のために八年間の記憶を
すべて失ったTさんは、当初、何とかしてその記憶を取り戻そうと焦っていた。
母親はそんなTさんに、誰もが365日すべての記憶があるわけではないのだから、
過去にこだわるよりは、今から何かを始めればよいと言ったそうだ。しかし、
それに対してTさんは、「今まで何をしようとしていたのかを知らなければ、
前に進むことができない。それを知らなければ生きている意味がない」
と言ったという。 このことに関連して私が思い起こすのは、戦後40年目に
おこなわれた当時の西ドイッのヴァイツゼッカー大統領の演説だ。
ヴァイツゼッカー大統領はこの演説の中で、第二次世界大戦のナチスドイツに
よるユダヤ人虐殺について深く謝罪すると同時に、「過去は神でも変えられぬ」
という台詞で、過去を変えることができないことを強調した。しかし、だから
といって過去を封印しようというのではなく、彼は「過去に亡目になる者は
現在に目を閉じることになる」と続け、過去を知り、それを現在に生かすこと
の大切さを訴えかけたのだ。基本的には、私たちの記憶もこれと同じではない
だろうか。自分の記憶をみつめることで、それを現在に生かすことができ、
記憶は未来への航海へと漕ぎ出す原動力となるのではないだろうか。》
▼ 記憶といえば、日記に書かれていたかどうかで、大きく違ってくる。
だから、ネットや、日記帳に、書き込んでいる。そして、毎年の同月同日分を
読み返しているが、なるほど、自分の加工が大きく入っている。それが「自分」
ということになる。ということは、それぞれが自分史を生きているのである。
今さら書く事もないが、より足取りを確かにするためには、書いておいた方が良い
のだろう。改めて、何気なく繰り返し思い出している記憶が、実は、自分が大きく
加工したものでしかないとすると、やはり共同幻想、幻覚の中で生きているだけ
ということが、少しは自覚できる。最近、ブログで過って行った先の写真を
ネットからコピーし、ブログに載せているが、これが、当時の記憶を彷彿させる。
これも、当時の記憶の再生と、再体験になる。行ってなければ、注目もしない
だろうし、どんな写真より、当時の感動の方がはるかに良い。過去の再生と
体験と同時に、新たなる未来のためにも、常に、記憶の手入れが必要になる。
・・・・・・
4439, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー9
2013年05月12日(日)
ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
ーこれまでの7つの登山道を更に簡略すると、次になる(後書きより)ー
・ ルート1は、心は幻想だと理解する道。
脳神経科学の知見から考えると、意識される今は幻想だ。
今とは、未来や過去が調整されて今だと思わされているに過ぎない。
自分が主体的に行っているとリアルに感じる意思決定も、そうしていると
思い込んでいるだけだ。
僕たちは「生きていると錯覚しているだけだ」と考えざるを得ない。
・ ルート2は、すぐ死ぬことと、あとで死ぬことの違いを考える道
所詮はいつか死んでしまう、ということから人生を考えると、今死んでも
あとで死んでも同じよなものだ。人生は死刑のようなもの。だが、それは、
悲観的なものではない。生まれてきた奇跡を、この宇宙的ラッキーを、
ポジティブに捉えようではないか。死ぬことが悲劇なのではなく、
生きていること自体がすばらしい奇跡なのだ、と。、
・ ルート3は、宇宙サイズの視点に立って、自分の小ささを客観視する道。
138億年前にできて、直径276億光年のサイズを持つ巨大な宇宙。この宇宙
スケールから見ると、何て人間は小さいことか。しかも、地球上に70億人も
うごめいている人間。あなたはその中のたったの一人に過ぎない。全体から
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05月12日(火)
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