ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5167,閑話小題 〜心は科学者か弁護士か 〜A
厚生年金に加入できる人が減っていることが大問題。今後、高度成長も望めず、
国家の体力が弱っていく中で、楽観視は出来ない。しかし、この年金制度が
無かったとしたら、10年、20年先の若者は、大変。最悪の想定で、両親2人と、
その両親の親4人、合計6人の面倒を見るケースも、ありえる。多くの紆余屈折
を経て、それなりのカタチになっていくが、悲観だけをしても何も得ることは
出来ない。ここで取り上げてきた基本的知識を、国民は、あまり知られていない
ようで、より丁寧な教えが必要のようだ。40年以上の厚生年金を夫婦してかけて
きて、手取り25万では、何か釈然としないが、それでも大きは生活の柱である。
逆に、夫婦二人で、国民年金だけの収入で手取り11〜2万では、生活保護にも
満たない。 核家族化の中で、子供からの援助も当にできず、ハイパーインフレ
にでもなれば、アメリカの貧困層のように救済センターに食事のための行列も
現実になりかねない。私も、半年前までは、倒産など、思いもよらなかった。
家内も、私の実家も、堅実な家柄だったので、厚生年金や、万一の備えをして
いたので、何とか生活の質を落とさないでいるが、一つ間違えれば、大変の事態
になるところ。生きていく上で、お金は健康とともに大切である。それから
自由になるには、長年の時間をかけての準備と、蓄積が必要。老いれば尚の事、
たかが年金、されど年金。たかがお金、されどお金。それ以前の知識も・・
 で、120兆の年金基金も、日本国債とアメリカ国債に化けているとしたら、
どうなる? 国家あってこその個人である。
・・・・・・
4435, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −5
2013年05月08日(水)
 * ルート4:主観的時間は幻想だと理解する道    
        ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
   ーまずは、この概要を主観的にまとめてみる。ー
≪ 客観的な「今」と主観的な「今」の違いからみると、客観的時間は、時間が
 一定速度で進むという前提に基づいている。時間を秒、分、時間、日、月、
年、10年、世紀といった絶対尺度で捉えるから、そのような結論になる。
客観時間は、一定速度で進む。それは、人がそのように定義したからに過ぎない。
しかし、主観時間は、そのように捉えるべきものでない。主観的時間を考えるに、
「今」を考えてみよう。「今」は、客観的には時間軸のある一点である。
客観的な今は時間の幅を持たない。どんなに短くても、時間が幅を持ってたら、
それは今でなく、過去と未来になってしまう。今とは、それが千分の一秒前と、
千分の一秒後の間が、今になってしまう。 千分の一などどうでもよいと思い
がちだが、数学や物理の世界ではそれを認めない。ということは客観的今とは
時間幅を持たない。 では、主観的な今とは何か。「クオリアとして知情意を
感じている、この今とは何か?」と問う以上、主観的な今は時間の幅を持って
いると考えるべきだ。ここに、時間的幅を持たない客観的な今と、時間幅を持つ
主観的今。両者の定義は異なる・・ 私たちの心は、「今」しか考えられない。
過去を思い出したり、未来を想像できるが、それらを行うのも「今」だ。
私たち人間には、過去も未来もない。実は現在もない。過去を思い出せるが、
エピソード記憶に残っていることを思い出しているに過ぎない。過去はクオリア
ではない。単なる記憶だ。その過去の体験のクオリアに戻ることは出来ない。
人間には「今」しかないのだ。・・・ 僕たちは「今しか感じられない機械」。
今と、生まれてから今までと、今から死ぬまでが、あなたにとってのすべての
時間なのだ。それだけだ。 主観的時間には、「死」なんてない。死ぬ瞬間は、
もはや主観的な「今」はない。死の直前には「今」を感じられるが、それは
死の瞬間ではない。主観的には死はないのだ。生まれる前は主観的には生まれて
いなかったのだから当然、時間は流れていなかったのだ。主観的な過去の時間は
過去にさかのぼるほど圧縮され、ついには物心ついたとき以前の時間は完全に

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05月08日(金)
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