ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5008,人は死ぬとき何を後悔するのか? 〜4
合うべきか」の座談会の出席者たちは、いわゆる「在特会」の「朝鮮人は死ね」といった
ヘイトスピーチの主張に、かってハンナ・アーレントがユダヤ人虐殺の中心人物であった
アイヒマンについて語った「凡庸な悪」を見いだす。深みのない「凡庸な悪」であるからこそ、
底無しに広がってゆく可能性があると指摘。彼らは特殊なのではない。
私たち社会の中に、彼らの考えに同調する素地があるのだ、と。
 だが、その「凡庸な悪」に染まり、世界を滅ぼそうとしているのは、「在特会」とそれを
支持している人たちだけなのだろうか。アーレントは、アイヒマン裁判を傍聴し、彼の罪は
「考えない」ことにあると結論づけた。彼は虐殺を知りながら、それが自分の仕事である
からと、それ以上のことを考えようとはしなかった。そこでは、「考えない」ことこそが
罪なのである。私たちは、原子力発電の意味について、あるいは、高齢化や人口減少に
ついて考えていただろうか。そこになにか問題があることに薄々気づきながら、日々の
暮らしに目を奪われ、それがどんな未来に繋がるのか「考えない」でいたのではないか。
だとするなら、わたしたちもまた「凡庸な悪」の担い手のひとりなのかもしれないのだ。》
▼ 年末年始になると、中学、高校、大学、そして趣味などの忘年会に出席する。
 学歴が上がるほど、「凡庸の悪」の人が間引きされ?少なくなる。それが、その場の
空気を綺麗にする。「凡庸の悪」の傾向の強い人は、とにもかくにも考えない。
その代わりに、他人との比較と噂が主たる世界。そこから出る毒ガスで脳が侵され、
噂を嘘に変えていく「凡庸な悪」の担い手、無知の涙に浮かぶシラミ。で、どの会にも
一定の割合で存在する。逆に「考えるとは何か?」という問いかけは哲学の問題。
「考えないことの罪」は、人類そのものの原罪である。だから、人は学び続けるしかない。
 その結果、我が内なる(過去・現在)B・Cに出会うことになる。その姿を見ている視線が、
Aなる自分、考える自分になる。
・・・・・・
2012年11月30日(金)
4276, 100の思考実験 ー2
       「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」ジュリアン バジーニ (著),
   * ギュゲースの指輪
 次に印象的だったのは「ギュゲースの指輪」である。 ウィキペィデアに次のようにあった。
≪ カンダウレス王の治めるリュディア国に住む牧人のギュゲースはあるとき地震にあった。
 地震の後に畜群を放している山の手に洞窟が現れたのを見つけた。入ってみると中には
玉座に遺体が置かれていた。その遺体は金の指輪をしており、ギュゲースはその指輪を
盗み出した。戻ってきたギュゲースは指輪を身につけてあれこれと探るうちに指輪を内側に
回すと透明になって体が見えなくなり、外側に回すとまた見えるようになることに気づき、
悪だくみを思いついた。家畜の様子を告げる伝令として宮殿に入ると、透明になって后に
近づいて姦通、密謀してカンダウレース王を殺し、位を簒奪した。
豪富で知られるクロイソス王はギュゲースの子孫である、という伝説が当時行われていた。
プラトンは「国家」の談義では兄グラウコンがこの話を引用して「人は知られなければ
悪事を働くのものだ」と述べて、プラトンのこれに反対する形で「悪事は知られなければ
構わないという考えは良心を腐らせ悪しき結果となる」と述べている。≫
▼ ギュゲースの指輪は、人間の心の奥に潜んでいる不道徳性を試す物語。 人にさえ
知られなければ、誰も誘惑に駆られ多くの悪事をするが、他人になると声高に非難をする。
もし、私がギュゲースの指輪を持っていたとしたら、恐らく何をしでかすか分からない。
見せかけの自分と、本性の自分は全く違うことは、自分の心を考えれば分かること。
「指輪物語」は、これをヒントにつくられたという。 ギリシャの哲学者プラトンが、2千数百年も
昔に、この人間の性を物語にしていたというから恐れ入る。性善・性悪説の論争に似ている。 
若い時には純粋で理想に燃えて社会に出るが、何年もしないうちに垢に汚れ、何時の間にか

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11月30日(日)
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