ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4965,閑話小題 ー誇りを持つのはいい、誇ってはいけない
民主政治は衆愚政治になりはてる。 読書離れは、民主主義を最低の政治形態にまでおとしめ、日本を滅ぼす。... 》
▼ この危機感から筆者は、大学で八年前に読書ゼミを始めた。主に一年生を対象とした週90分、半年間のこのゼミは、
 以後毎年開いているという。この内容について次回に取り上げる。 武澤ゼミの武澤教授の指導に似ている。
 事例の現象に隠されている本質は、かなりの読書量がなければ、理解不能のものばかり。基礎教養が、人格をつくり、
 それが問題を解決する。私のゼミの事例研究の前の一年は徹底的に指定された本を読まされるが、私は二年目からの参加。
 ひと月もしないうちに、己の絶対量の読書不足を自覚する。二年目の彼らに全くついていけない。それが時間が経つたび、
 ジワジワ効いてくる。それまでの読書量の絶対量の不足。この自覚が武澤ゼミの、いや学生時代の最大の収穫。
 卒業時には、ノイローゼ気味でコンプレックスの塊になっていた。特に都会生まれの学生は、読書の必要性を知っていて、
 絶対量を読んでいる人が多い。 卒業の越年を真剣に悩んだ結果、社会生活に入ってから、毎日、二時間の読書を
 続けることを心に決め、それが現在まで続いている。そのことで、心の個室を持つことができた。足の踏み場もないが・・ 
・・・・・・
4223, 神は妄想である ー4
2012年10月18日(木)
 神は妄想である ー4                        
    * パスカルの賭け              ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 
 学生時代に読んだパンセの「パスカルの賭け」を読んだとき、いやに納得したことを憶えている。
と同時に「裸の王様の真の姿に目をつぶって黙っていた方がお得」という、いかがわしさも感じとった。
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の文明の対立が激しくなる中、無神論も、堂々と主張すべき時期に来ている。
パスカルの賭けも、あまり語られてないが、当然である。  ーその辺の記述の箇所を抜粋ー
≪ 仏の偉大な数学者ブレーズ・パスカルは、神が存在するという確率がどんなに小さくとも、神の有無について間違った推測を
したときの報いには、かなり大きな非対称性が存在すると考えた。< あなたは神を信じた方がいい、なぜなら、もしあなたが
正しければ永遠の幸福という利益を得るが、間違っていたとしても、いずれにせよ失うものはないだろう。それに対して、
もしあなたが神を信じないとして、それがまちがっていることが判明すれば、あなたは永遠の苦しみを得ることになるが、
正しかったとしても、何の利得もない。悩む必要がないのは明らかだ。神を信じなさい。 >である。けれども、この論証には、
はっきりとおかしいところがある。信じるというのは政治問題とは違って、あなたがどうするか決定できるものではない。
少なくともそれは、自分の意志で決定できるようなものでも、自分の意志で決定できるようなものではない。私は教会へ行くか
どうかを決定できる。私はニカイア信条を唱えるかどうかを決定できるし、聖書に手を載せて、そこに書かれているすべての言葉を
信じると宣誓するという決定をすることができる。しかし、これらの行為のどれ一つとして、私が信じていないものを実際に
信じさせることはできない。 ‘パスカルの賭けは、神を信じているふりをするための論証でしかありえない’。
そして、あなたが信じると主張する神は全知という類の存在ではない方がいいだろう。さもなければ、神はその偽装を見抜いて
しまうだろうから。「何を信じるか」ということが自分で決定できるものだという馬鹿げた考えは、ダグラス・アダムズの
『ダーク・ジェントリーの全体論的秘密探偵社』において、みごとにからかわれている。そこにロボットの電子僧侶が登場するが、
それは「あなたにかわって物事を信じてくれる」、労働節約型の装置である。 宣伝によれば、デラックス型は、
「ソルトレイク・シティ[モルモン教の本拠地]では信じないようなことを信じさせることができる」というふれ込みの商品だ。

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10月18日(土)
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