ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4961,閑話小題 ー齢は68になって
▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、ガンなどで余命が
見えて、その克服や人生を改めて見つめ直すために来ている人が多い。晩年になれば、今さら
生き直すことは出来ないが、考えるために、極限の秘境ツアーは悪くない。
被災地視察という名の「ダークツアー」に似ている。「やめ時」を悟ったら、あとは「前向きに
目をつぶって倒れこむ」しかない。そうすれば、自動的に現象は生き直しになってしまう。
これも一期一会。捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。といって、覚悟が
必要で、そのための周到な準備が必要。最期は、「そして、人生は終わり」!「プツン!」。
・・・・・・
4219, 神は妄想である ー2
2012年10月14日(日)
   * 有神論と理神論と汎神論      ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著
 理神論という言葉を、この本で初めて知った。「神を信じますか?」と、問われた時に、口を濁す
代わりに、この理論を、答えればよい。私は汎神論に近く日本人的考え方だったが、理神論を
加えることにする。 ただ、「今ここにある自分の存在」が不思議でたまらない。
「類人猿が宇宙の存在と原理を意識して、そこに自然原理を見出し擬人化した
『神』をイメージした」と一言でかたずけられない。神という言葉の解釈がいくらでも
可能だからだ。 ーその辺りを部分を抜粋してみるー
≪ 用語法について念を押しておこう。有神論者は、そもそもこの宇宙を創するという主要な
仕事に加えて、自分の最初の創造物のその後の運命をいまだに監視し、影響を及ほしている
ような超自然的知性の存在を信じている。多くの有神論的な信仰体系においては、神は
人間界の事柄に密接に関わっている。神は祈りに答える。罪を赦し、あるいは罰する。
奇跡をおこなうことで世界に干渉する。善行と悪行に思い悩み、私たちがいつそれを行うかを
知っている。理神論者も超自然的な知性を信じているが、その活動はそもそも最初に宇宙を
支配する法則を設定することに限定される。理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、
人間界の事柄に特別な関心をもっていないのも確かだ。汎神論者は、超自然的な神をまったく
信じないが、神という単語を超自然的なものではない〈自然〉、あるいは宇宙、あるいは宇宙の
仕組みを支配する法則性の同義語として使う。理神論者は、彼らの神が祈りに応えず、
罪や餓悔に関心をもたず、私たちの考えを読みとったりせず、気まぐれな奇跡によって
干渉したりしないという点で有神論者と異なる。理神論者は、彼らの神が、汎神論者の神の
ように宇宙の法則の比喩的あるいは詩的な同義語ではなく、ある種の宇宙的な知性である点で
汎神論者と異なる。汎神論は潤色された無神論であり、理神論は薄めた有神論なのである。
「神は老獪なれど、悪意はない」や「神はサイコロを振らない」や「宇宙を創造するとき神に
選択肢があったのか」といった有名なアインシュタイン語録は、どう考えても、理神論的ではなく
汎神論であり、まちがっても有神論ではない。「神はサイコロを振らない」は「すべての事柄の
核心に蓋然性が横たわっているわけではない」と翻訳されるべき。「宇宙を創造するときに
神に選択肢があったのか?」は「宇宙はいまある形以外のやり方で始まることができた
だろうか?」という意味である。
アインシュタインは「神」を純粋に比喩的、詩的な意味で使っていたのである。≫
▼読み込めば読み込むほど、こんなシビアな無神論の明快さに驚いてしまう。
日本人からみれば、何を今さらだが。「神がいるかどうかでない、存在しなくてはならないのだ!」
という言葉があるが、その人には神は存在すればよい。
・・・・・・・
3854, 50歳代が勝負時? 
2011年10月14日(金)
 何度か取り上げているが、51歳時、痴呆症だった88歳の母を見送り、「さて、これから如何
しようか?」と考えた時に、曽野綾子の「人生の良いところは60歳まで」という言葉に出会った。

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10月14日(火)
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