ID:54501
たまに××したり。
by うらら
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■価値基準。
雨降りの朝はけだるい。
できることなら何もせず、雨音だけを聞きながら布団に包まって過ごしていたい。
そう思うのは大人だけではないだろう。
幼稚園も年長になり、自分が成長したんだと言う自覚が強くなり、そこから生まれる妙な責任感であったり、誰からも課されていないプレシャーであったり、を感じるらしく、今年に入ってから、妙につまらないことでぐずったり、甘えたりが多くなった息子。
朝はいつも通りに起きてきて、自分で支度をし、いざ、出かけようと言う時間になったら急に
「気持ち悪い」
と言い始めた。
熱はなさそうだし、朝食のトーストもきちんと食べてある。
「幼稚園はいけそうなの?」
と言うと、
「ウン、気持ち悪いけど、大丈夫そう」
バス停につくと、途端に、
「気持ち悪い。やっぱりがんばれない」
と言い始め、
「じゃあどうするの?お休みするの?」
と聞くと
「ウン、今日はお休みする」
別段顔色も悪くないし、熱もなさそう、ここまで来て休みにするなんて、なんか、アマアマダよなー・・・と思い、バスが来るまで延々と説得し、心を鬼にして幼稚園バスに乗せる。
息子はしっかりとあたしの服をつかんで離さず、泣き喚き、引き剥がされるようにして連れて行かれた。
いつ見ても、誰の子どもであっても辛い光景だ。ましてやそれが我が子ともなれば、辛いのは言うまでもない。
「すごかったねえ。どうしたんだろう」
「ほんと行きたくなかった感じだね」
うーん、、、本当に体調が悪かったんだろうか。実に微妙な感じである。
「でも意外と家に連れて帰ったらけろっとして元気になったりするもんだよね」
と話していたら、
「帰ってきたらきちんとフォローしてあげないと。相当傷ついてるよ。無理矢理連れて行かれて、拒否されたって思ってるよ」
したり顔で言われた。
その人は先日もあたしが参観日に行く、行かないと言う話になったときに
「よそのお母さんが来てるのに行かないのはかわいそう」
と言った人だ。
こう言うことがあるたびに仕事を持つ母親の子どもはかわいそうであると言わんばかりの持論を展開され、あたしはそのたびに結構傷ついてしまうのだ。
実はその人の上の子どもは登校拒否をしている。
去年から不登校が始まり、今年に入ってクラス替えや担任も変わったと言うのに、いまだにほとんど学校に行っていない。
朝になると体調を崩し、専門家に相談したりしているが、それでも一向に学校にいける気配がない。
下の子が生まれたことで自分が充分に甘えられなかった、と言うのが原因にひとつではないか、と言うことで、充分に甘えさせてあげてください、と言われているらしい。
彼女からしてみたら、そう言ったことを踏まえての親切心なのかもしれないが、それにしても、あたしの子育てを否定するような響きでいつもあたしは困惑する。
「まあ、うちの子は大丈夫だと思うよ」
とやんわり言ったが、彼女はひるまず。
「いいや、最初は誰でもそう思うんだよ。ところがそうじゃないんだな。もっと受け入れてあげないと」
ねえ、あたしは子どもを受け入れてないって言うんですか?
四六時中べったりとして、仕事より子ども、ワガママは全て聞き入れろ、とでも?
現実問題として、それは不可能である。
あたしが仕事しているのは他ならぬ生活のためであり、子ども達が大事だからなのである。
一緒にいるときは出来る限りべったりと、それこそ自分の時間が持てないくらいべったりとしている。
同じ職場のシングルマザーともぽんも
「専業主婦で年中子どもと一緒にいるお母さんたちなんかよりも一緒にいられる時間が少ないあたし達のほうが、一緒にいるときは濃い時間を過ごしてるよね」
と言っていたが、その通りだと思う。
一緒にいられないことでついつい甘くなってしまいがちだし、そう言った意味では親子関係は実に濃密であるとも言えると思っている。
それなのに、だ。
どうしていつもいつも自己の価値基準で物事全てを判断し、断定してしまうことが出来るのだろう。
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05月16日(金)
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