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by DIARY
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■山の手大空襲から70年
朝日新聞によると・・・

2万人以上が死傷した「山の手大空襲」で、表参道界隈は、一夜にして焼け野原になった。
当時多くの人が逃げ込んだ書店は、その記憶を絶やすまいと、いまも街角に立つ。

1891年創業の「山陽堂書店」。 →
表参道と青山通りの交差点にあり、4代目が営む。
20uほどの1階には、女性誌や旅行ガイド本のほか、「表参道が燃えた日」など空襲関連の本が並ぶ。
2階のギャラリーでは6月5日まで、戦前や戦中の周辺の写真などを展示している。

書店は空襲の夜も、今と同じ場所にあった。
北西に明治神宮、東に青山霊園。
安全とされた2カ所の間だ。
逃げ惑う人たちが店の前を往来し、住居を兼ねた鉄筋3階建ての書店に、多くの人が逃げ込んだ。

現経営者=遠山さんの伯母で、当日の店番だった清水浜子さんは1階にいた。
焼夷弾の音が聞こえる。
得意先から預かった品々を守ろうと、父や弟と、地下室につながる入り口を街路樹の土で固めた。

それが逃げ遅れにつながる。
霊園に行こうと外へ出たが、煙で前が見えない。
熱風や火の粉が、目元までかぶった防空頭巾の隙間から入り込んでくる。
手をつないでいた父とは、いつの間にかはぐれていた。

なんとか隣の染物屋に入った。
直後に「バリバリ」。
裏手に炎が見える。
ここもすぐ焼ける。
逃げなくちゃ。
その場にいたお年寄りの女性2人に声をかけた。
「私たちはもう、いいから」。
何もできず、外へ出た。

何も見えない。
立ちすくむ。
死ぬんだ。
せめて家に帰って死のう。
だが、店に入ろうとすると「いっぱいだ」と断られた。
「私のうちだから」。
声を荒らげ、鉄のドアを開ける。
100人ほどが肩を寄せ合っていた。

商品の雑誌を踏み、台をつたって2階へ。
父も弟もそこにいた。
窓から外を見る。
「火の玉」が転げ回っていた。
そばには布が見える。
人、だった。
1階からはうなるような「水、水」の声。
地下室の井戸から何度もくみ上げられた。

翌朝。
向かいの銀行の前に、2〜3mほど遺体が積み上げられていた。
スコップでトラックに乗せられていく。
言葉にできるのは「私は生きてる」。
それだけだった――。

65歳まで店で働き、今は西東京市に暮らす。
「もっと詰めましょうと、あのとき誰かが言えれば」と悔やむ。
5年前から視界がゆがむ。
空襲の記憶もぽつぽつと抜け落ちていく。
それでも、8月15日の空が晴れ渡っていたことを覚えている。
ラジオで聞いた終戦の報には、悔しさよりも安堵の気持ちを強く感じたことも。
「生きてこられて幸せ」。
不戦を貫いてきた日本を「ありがたい」と思う。


なのに現A首相ときたら・・・
05月25日(月)
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