ID:48089
★予防と審美専門★【小林歯科クリニック】
by DIARY
[143533hit]

■今月の参禅−28
どんな美しい宝石も、光を放って他を照らすことはできません。
最高の宝石は仏宝という人を照らす光なのです。

お正月は元旦に始まると思っていらっしゃる方が多いですが、本当は大晦日からです。
晦日は毎月の新月の夜で月隠(ツモゴリ)といいます。月明かりがありませんので古来悪鬼が跋扈(ばっこ)するとおもわれ、人々が集まって火を焚き明かりを囲んで夜を徹して神仏に祈りました。
同時にこの真っ暗の夜を日本人は命を更新する籠もりの時と考えていました。
そこでゆっくりと身心を休めると活力のある翌朝が迎えられたのです。
これをムスヒ(産陽)と呼び再生の連なり「結び」の根本としました。
生命の絶えた冬枯れは春の芽生えというムスヒを喚起し、命の終わりの死をもまた大いなる復活を願いましたので、日本人は死者を生きているようにお膳を上げて供養します。
ですから、十二番めのツゴモリはオオツゴモリ(大晦日)で、翌日の元旦は生気みなぎった新しい歳を迎えます。

本山ではお昼過ぎに旧年を閉じ、香湯で身を清めて仮眠をします。
十一時に起きてから、大梵鐘(除夜の鐘)が撞き始められますと越年法要が開始されます。
大祖堂において午前零時を期し、九十四才大道晃仙大禅師御親修による元朝大祈祷が行われます。

さて、こどものお正月の最大の楽しみはお年玉です。
私は終戦直後の生まれですから、五十円、百円の文字通りのお年玉でしたが、今では数万円にもなるというので驚きます。
でもこの玉は新年の歳神がもたらした「新しい塊」です。
福銭といって幸せの象徴として受けたものですから、本来金額ではなく元気をいただきます。

同じ意味でお寺や神社の手洗い所では、汚れを落とすわけではありません。
手を水で濡らして瑞々しい、艶やかな手で合掌し、柏手(かしわで)を打つのです。
かつての陰膳(かげぜん)は遠方で働く夫やこどもの無事を祈って、通夜の枕飯は甦りを願って、いつも使っていたお碗にごはんを盛って供えます。
相撲取りは生気をみなぎらせるために塩を撒きます。
生気がみなぎっていれば邪悪なものが寄ってこないと考えたからです。

どんな美しい宝石も光が当たらなければ輝きません。
自分から光を発しなければ他を照らすことはできないのです。
素晴らしい仏心という珠も、慈悲という光で輝かさないと人を救う最高の宝とはならないのです。
除夜の鐘を撞き、新年の大祈祷を受けますと、新しい元気な生命が躍動し始めます。そのエネルギーは分け与えれば大きな喜びの輪となって人々を包みます。

睦月(むつき)とは暮れから正月にかけて、さまざまな神仏との交流の儀式を行ない、同じ仲間の絆を結び合い、ともに喜びを分かち合って「睦みあう月」です。そこではお互いに「愛(め)で合う」ことが大事です。
それが、賀詞であり新年のご挨拶や年賀状で、人と人とをしっかりと結びます。

改めまして
「新年、明けましておめでとうございます」

by総持寺参禅寮

↑ここでいう“私”とは、貫主さまのことです・・・念のため♪
01月21日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る