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by DIARY
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■今月の参禅−26
お釈迦様の逸話で「毒矢の喩え」という話があります。

あるとき、道を歩いていると、人が毒矢に当たって苦しんでいた。
駆け寄り、毒矢で苦しんでいる人に聞いた。

「貴方に毒矢を射たのはどんな人間か。背は高かったか低かったか。男か女か、考えられる原因は何か?」

しかし、そのようなことを聞いているうちに、毒矢に当たった人は死んでしまう。このような場合、一番大切なことは、毒矢に刺さった原因ではなく、毒矢に射られた人の毒矢を一刻も早く抜くという行動を起こすことであり、原因はその後に考えることである。
という話です。

人類は、すぐれた精神構造を持つまでに進化を遂げて参りました。
思慮分別という智恵は、高度な文明と文化を創って参りましたが、ともすると、この逸話にあるように優先順序を誤って、大切な命と時間を無駄にしてしまう危険性があります。

考えて方針を出して、その方針に従って行動する習性が私たちにはあります。
しかし、明快な方針と確固たる判断は、なかなか瞬時には出来ないものです。ましては、生と死の問題のように、自分の思い計らいではどうすることも出来ないことは多いものです。
むしろ、毎日が迷いと戸惑いの苦悩に満ちた人生と言っても過言ではないでしょう。

そのような迷いの渦中にこそ、毒矢を一刻も早く抜くような実践行動が大切なのです。その行いを通して、自分でも気が付かなかった確証が、自然と備わってくることもあるのです。

『学道用心集』にある「行[ぎょう]を迷中[めいちゅう] に立て、証[しょう]を覚前[かくぜん]に獲[う] る」という文言は、これらのことを説き示した言葉です。
行とは最も優先されるべき尊い「実践行」のことです。混迷の最中にこそ、行を立てて歩んでみる。
その歩みの中から、はっきり得られなかった手応えとも言うべき確証が自ずと証明されているという意味です。

坐禅には興味があるけれども、なかなか敷居が高くて・・・という声をよく耳にします。
仕事が忙しいので、一段落したら・・・、あるいは、定年を迎えたら・・・、子育てが終わったら・・・。
などと理屈を考える頭の理念が先行してしまうものです。
「たら」を持っていたら、永遠にその日は来ないかもしれません。
あるいは、坐禅は優先順序としては高くないという判断だとすれば、大変もったいないことです。
どうかこの実践行の精神を、身近な日常生活で生かして参りましょう。

by総持寺参禅寮
11月19日(木)
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