ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File090】狼と羊と猟犬と・・・ココアとラム酒と海の男たちの物語【ネタバレ警報/後編@】
1941年12月日米開戦とともにドイツもアメリカに宣戦布告し、欧州での戦争は、遂に世界中を巻き込んだ世界大戦へと発展します。1941年12月16日「バウケン・シュラーク(小太鼓連打)作戦」が発動され、米国大西洋岸での少数のUボートによる無制限潜水艦戦が開始されます(因みに12月16日はATFの誕生日・・・バルジ大作戦発動の日&戦艦大和竣工の日でもある・・・)当初、米国沿岸における米国海軍の警戒網は全くずさんで、灯火管制も無く、独航船は完全に無防備・・・米国は1942年4月までにフロリダ沖・カリブ海まで含めた広大な海域で、大きな損失を被ります。この時期は第二黄金期∞陽気な殺戮∞アメリカ沖の狩猟シーズン≠ネどと呼ばれ、後に米国が沿岸航路で輸送船団方式を採用するまで続く事になります。ハールデン、モーア、ラッセン、ムーツェルブルグ、トップと言った新たなUボート・エース≠ェ誕生するのもこの時期です。また1942年11月連合軍は欧州反攻の牽制作戦として北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)を敢行・・・この上陸作戦護衛の為、多くの連合国護衛艦艇が輸送船団から引き抜かれた事により、1943年初頭まで輸送船団の護衛体制が不充分となり北アフリカ上陸は成功しますが、連合軍輸送船の損失は激増してしまい、結果的にUボートの戦果向上に寄与した事になります。この間、アフリカ沿岸やインド洋にも一部のUボートが進出し少なからず戦果を挙げました。さらには東部戦線でのソ連軍の反攻を支援する為の援ソ船団が編成され、独海軍の攻撃に加え、厳しい気象条件と戦いながら物資輸送を継続・・・ノルウェー方面の独水上艦艇・航空機・Uボートと激戦を繰り広げる・・・(特に1942年12月30日〜31日に極北のバレンツ海で行われたソ連領ムルマンスク向けのJW51B船団護衛部隊と独艦隊との戦闘は海戦史に残る戦いとなった)このように戦果を挙げたUボート部隊ですが、デーニッツ提督が戦争を通じて常に運用できたのは200隻前後・・・その中で戦闘可能な状態にあったのは60隻が限界(戦闘行動中60隻・補給整備休養中60隻・移動中60隻)であり、その限られた戦力を有効に活用した狼群戦法≠ノよって連合軍長距離哨戒機の哨戒圏外(エアギャップ)では、戦果を挙げ続けました。『enigma』の作品の舞台となったのも、ちょうどこの頃です。連合国側は大きな損失を被った戦訓から、輸送船団方式を強化する為に船団護衛専門の部隊運用指揮組織・・・西方近接海域(ウエスタン・アプローチ)司令部の司令官に潜水艦出身のM・ホートン提督を任命、さらにUボートに対抗する為の新戦術(@独軍の暗号解読A護衛空母の投入による制空圏拡大B駆逐艦やフリゲート艦、コルベット艦を中心とした対潜専門ハンターキラーチームの投入)や新兵器(@レーダーAソナー/アズティックBHF/DF高周波方位測定器Cヘッジホッグ前方投射対潜弾&Mk44対潜追尾魚雷)の開発を進めていました。特に連合軍が次々と新型の短波レーダーを開発、艦船や航空機に搭載した事により、夜間浮上航行(充電・補給)中に不意の奇襲を受けるUボートが激増・・・。このような連合国側レーダー技術の向上に対し独側の対応は遅れ、効果的な防御対策(レーダー逆探等)を講ずる事が出来ず「技術の戦い」で連合国側に対し大きな差をつけられます。1943年5月、激増するUボートの損失に憂慮したデーニッツ提督は、遂にUボート部隊の主要船団航路からの一時撤退を決定・・・ここに大西洋の戦い≠ヘ終焉へ向け一気に加速して行くのでした・・・。

【ザ・ラストUボート・・・狼たちの終焉1943年5月〜1945年5月】

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06月23日(月)
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