ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File079】遥かなるリトル・ビッグホーン・・・多勢に無勢【中編Vol.2d】
この時代、騎兵隊の正式装備ライフル銃はMODEL1873スプリングフィールド・トラップドア後装式単発カービン銃で、この銃は一発ずつ弾丸と薬包を装填し発射しなければならなかった。それに対しインディアン側は毛皮の交易で白人商人から手に入れたMODEL1866ウィンチェスター弾倉装填式13連発ライフル銃を多数所持(推定20%)していた。この銃は南北戦争時に使用されたスペンサー銃(金属薬莢薬室式七連発)″\造の特許に改良を加え完成したライフル銃で、その後改良され西部開拓史上最も有名な「ウィンチェスターM73」ライフル銃へと発展する銃である。
E一体攻撃に参加したインディアン戦士は何人いたのか・・・
インディアンには元来数量の観念がなかった為、はっきりした史料は残っていない。最も少ない人数は合衆国政府が算定した北部シャイアン族120人、ハンクパパ及びサンティー・ダコタ族260人、オグララ・ダコタ族240人、ミニコンジュウ族150人、サン・アーク族110人、その他のダコタ族120人の1000名。しかし最近では1500名以上いた事はほぼ間違いないと言われている。インディアン側の損害は60名程度であったと伝えられている。因みにインディアンの総数は最大1万人はいたという説もある。
Fカスターは頭の皮を剥がされていなかった・・・
6月28日テリー将軍とギボン大佐の援軍到着後、リーノ大隊とベンティーン大隊の生き残りがカスター大隊の救助に向かった。しかし時既に遅く、戦場には惨たらしい姿で戦死したカスター大隊の兵士の遺体が残されていた。戦死者の遺体の殆んどは軍服・下着を剥ぎ取られており頭部は叩き割られ、頭皮が剥がされ、手足は切り取られ、胴体は切り刻まれ、多くの矢が突き刺さり、複数の銃弾が打ち込まれており身元の確認は難航した。後の調査によれば、それらの残虐行為はインディアンの女子供たちによって行われたとの事である。カスターの遺体には頭部と胸部に二カ所の弾傷があった。衣服は剥ぎ取られていたが頭皮を剥がされてはいなかった。しかし死後加えられた傷が多くあり、片方の太腿が抉られ、手の指が一本切り取られ、生殖器に矢が突き刺さっていた。そして両の耳から木の棒が突き刺さされていた。弟のカスター大尉の遺体は更に惨たらしく、胸を切り開かれて心臓が切り取られ、手足は切断され、喉をかき切られ、頭部は鈍器で叩き潰されており、腕に残ったTWCの刺青が唯一の身元確認の手掛かりだった。リーノ大隊とベンティーン大隊の生き残りは、身元確認を終えると、遺体の仮埋葬を行いリトル・ビッグホーンの戦場を去って行った。まだインディアンの襲撃を受ける脅威があった為だった。カスター以下の兵士たちの遺体が正式に埋葬(改葬)されるのは、それから1年後の1877年7月2日、第七騎兵連隊から選ばれたI中隊の兵士たちがM・V・シェリダン大佐に率いられ再びリトル・ビッグホーンの地を訪れた時であった。この時、戦死者の遺体発見場所が調査、確定された。現在この戦跡は「カスター・バトルフィールド」という国定公園兼国立墓地になっており、対インディアン戦争で命を落とした多くの兵士が埋葬されている。
Gカスター一族の死・・・
この戦いにおいてカスター一族は大きな痛手を負った。ジョージ・A・カスター中佐の他に、C中隊長で実弟のトーマス・W・カスター大尉、官吏として同行していた実弟のボストン・カスターと従兄弟にあたるオーティ・リード、そしてカスターの妹婿のL中隊長ジェイムズ・カルフーン中尉がカスターと共に命を落としている。
Hリトル・ビッグホーンの戦い唯一の生き残り・・・
ダスティ・ホフマン主演の「小さな巨人」という作品では主人公がカスター大隊の斥候としてリトル・ビッグホーンの戦いに参加し、唯一生き残るが、これはあくまでも創作・・・実際の唯一の生き残りはI中隊長キーオウ大尉の乗馬であったコマンチ号で、体に七か所の矢傷と弾傷が残された姿で発見・保護された。コマンチ号は現在剥製となってリトル・ビッグホーンの記念館に展示されている。


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03月15日(土)
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