ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File056】外伝Cこうして悲劇は語り継がれる・・・特攻花<j十六夜参りの物語
知覧の陸軍特攻基地から出撃していった特攻機は、最後に開聞岳の上空を旋回し、別れを告げて南の空に旅立って行った・・・。
以上が武田鉄矢氏が創作した話の基となったエピソードで、武田氏はこの話を自らのコンサートの中で何度も語っており、その後、絵本「二十六夜まいり」が誕生した訳でした。その後この話を知ったひとりの若いTBSテレビ制作スタッフが働きかけ、このドラマが終戦記念番組として作られる事となったらしいですな。制作に参加したスタッフの多くは、実際に戦争を体験してない30代前後(当時)が中心で「戦争を知る世代が減っていく中で、戦争を知らない世代が後世に語り継ぐ戦争の悲劇=vをコンセプトとして、実際に現代に生きる人々のドラマを付け加え過去と現代≠フ関係を明確にした・・・という事らしいです。さらにドラマに登場する「開聞岳麓の岬上の特攻花のお花畑」は実際には存在せず、撮影用に約1ヘクタールのお花畑が再現された架空の場所だそうです・・・。
【特攻花≠ニ二十六夜参り≠ェ物語る事】
@オオキンケイギク=特攻花≠ヘ戦後、特攻隊の悲劇が語られる中で創造されたもので、戦中(戦争末期)には日本国内には存在しなかった・・・鹿屋基地周辺に群生している特攻花≠ヘ、戦後進駐してきた米兵が持ち込んだものが繁殖したのではないか。「特攻花≠ニ言われる黄色い花を、実際に特攻隊員が蒔いて出撃したという事実はない・・・」
A二十六夜参り≠ノ相当するような祭りや行事は存在しない。8月15日の終戦記念日・お盆の頃、日本各地で行われる灯篭流し≠竍慰霊祭≠ゥら創作されたものか・・・「二十六夜参り≠ニ呼ばれるお祭り・催しはない・・・」
以上がネット上で知り得た真相≠ナした・・・。この「二十六夜参り」というドラマは、前回書き込みの戦後制作された「特攻映画」の区分では第四期〜第五期に分類されるものです。戦後50年を経て戦争の記憶な薄れていく中、それらの風化を危惧した若い戦争を知らない$「代が、独自の解釈で、現代・後世に戦争を伝えようと試みた作品であると言えます。戦争の真実≠後世に語り継ぎ、悲劇を繰り返さないようにする事自体は、非常に重要な事には違いありません。太平洋戦争の記憶が薄れた現代社会を生きる我々に過去の戦争≠アピールする為、事実に多少の脚色を加える事は止むを得ないのかもしれません。まあ戦争映画には多々観られる事です・・・が。しかし問題なのは、ミリタリーマニアとか軍事オタク、戦記・歴史ファンとか、この分野を趣味にされている方々を除くと、その他大勢である一般大衆は、それらを鵜呑みにしてしまう可能性が非常に高いことです・・・近年では物議を醸した「パールハーバー」の一件が挙げられます・・・私ATFは、学生時代文学部国文科に在籍し「源氏物語」を始めとする「平安時代〜鎌倉・室町時代の作り物語=vを専攻しました。「作り物語」とは、まあ簡単に言うと、今で言うところの時代・社会を反映した人間関係や組織・恋愛を描いた上流社会の「大衆小説」な訳ですが、当時というか現代のようなコピー機とか便利な物のない時代は、読みたい本はひたすら書き写すしかなく、多くの写本というものが作られました。それらの写本は、大方のあらすじは同じなんですが、細かい所で書き写した人物の写し間違い≠ニか癖≠ニか好み≠ニかが如実に現れ、中には故意に書き直した≠ニ思われる場合もあります。同様な事が歴史上でも多く見られるのは皆さんご存知の通り・・・たった60年前の出来事でもはっきりしない事は多々あります。特に戦争≠ニいう歴史の暗部≠フ出来事を扱った場合、触れられたくない事実に関わった一部の方々や、故意に事実を改ざんしたり大袈裟にアピールしている方々にとっては、いかに一般大衆に都合よく物事を解釈させるのかが重要な事ででっち上げ≠竍嘘実≠ヘ大したことではありません・・・。
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09月14日(土)
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