ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File090】狼と羊と猟犬と・・・ココアとラム酒と海の男たちの物語【ネタバレ警報/後編@】
ドイツ海軍は通商破壊戦によって英国を屈伏させる≠ニいう戦略思想を持っていたにもかかわらず、ヒトラーの独断による予想外の早期開戦により、第ニ次大戦を全くの準備不足で迎える事になります。かろうじて開戦前に数隻の通商破壊艦を大西洋海域に出撃させる事が出来たくらい・・・さらに潜水艦=Uボートの準備も不十分で、開戦時に投入出来たUボートは、両手程度しかありませんでした。初期の潜水艦による通商破壊戦は制限だらけ(戦時船舶拿捕規定などの国際法規、アメリカの参戦や国際世論を警戒したヒトラーによる攻撃制限命令等)の為、余り有効な戦果が挙げられませんでした。しかしU29潜による英空母カレジアス撃沈(1939.09.17)や、スカパフロー英海軍泊地に潜入したギュンター・プーリン艦長指揮のU47潜による英戦艦ロイヤルオーク撃沈(1939.10.14)等の戦果によるUボートの実効性の認知の昂まり、さらにはUボート部隊司令官デーニッツ提督を始めとした海軍首脳陣からの抗議により、攻撃制限は序々に解除され、1939年11月には遂に無制限潜水艦戦が開始されます。1940年4月〜6月に実施されたノルウェー方面での作戦において、水上艦艇に大きな損害を出した事により、ヒトラーや国防軍首脳陣が、大型水上艦艇の作戦に消極的となった事も、その後のドイツ海軍の作戦が否応無しに潜水艦=Uボート主流となり、Uボートの建造が優先される様になります。1940年6月のフランス降伏により大西洋岸ビスケー湾岸のブレスト、ロリアン、サン・ナゼール、ラ・パレス、ラ・ロシェル、ボルドーにUボートの補給整備基地が建設され、大西洋への出撃航程が大幅に短縮されると、Uボートの可動率も大幅に改善され、大西洋は将に血の海≠ヨと変わって行くのであります・・・英国首相チャーチルが命名した大西洋の戦い/BATTLE OF ATLANTIC≠フ始まりです。

【Uボート・エースVSコンボイ・・・1940年7月〜1941年3月】
仏ロリアンを基地としたUボートは、効率的な運用(常に一定の隻数のUボートが大西洋上で行動可能)や航続距離の拡大、独航船への浮上砲撃により戦果を伸ばして行きます。しかし未だ単独攻撃が主流で、多くのUボート・エース=撃沈王≠ェ誕生する事になります。1941年1月には、予てよりデーニッツ提督の要望がヒトラーに認められ、独空軍所属のフォッケウルフFW200長距離哨戒爆撃機一個飛行隊がデーニッツ提督指揮下に入れられ、空海共同の作戦も開始されます(しかしこれはゲーリング抜きで事が進められた為、後でひと悶着起こす事になります)・・・しかし1941年3月快進撃を続けていたUボートに影刺す事件が起こる・・・アイスランド南方海域を航行中の英輸送船団(OB293/HX112)の攻撃に向かったU47潜(プーリン)U99潜(クレッチマー)U100潜(シュプケ)U70潜(マッツ)が立て続けに撃沈されたのである。これは一次戦から二次戦初期にかけての独Uボートの戦術を研究していた英海軍が、一次戦より効果があった輸送船団方式=CONVOY≠発展、運用し始めたからに他ならなかった。それは英国人工学者F.W.ランチェスターが、一次戦時の航空戦のデータを基に分析・研究し発表した戦闘における兵力の消耗についての一定の法則=ランチェスターの法則≠ノよって構築されたオペレーション・リサーチ(OR)に基づく結果からでした・・・輸送船団の最も効率的な護衛戦力を算定する方法・・・数少ない護衛艦艇(駆逐艦・フリゲート艦・コルベット艦・対潜トローラーやホエーラー等漁船改造小艦艇)で、より効果的に護衛する為には何隻の輸送船で船団を組めばよいか・・・過去の戦術に捕われた軍人ではなく、第三者である数学者等の学識経験者を中心とした研究チームが、過去データを統計学的に調査・分析・・・その結果輸送船団は規模が大きいほど安全である≠ニいう結論を導き出します。こうして英国は大規模船団を編成し、少ない護衛戦力を集中的に配備した輸送船団方式=CONVOY≠編み出したのでした。1941年3月合衆国議会においてレンドリース(武器貸与)法が可決され、物資不足に苦しむ英国に対する無制限の援助が始まり、米国・カナダから英国に向け数多くの輸送船団が送り出され・・・大西洋の戦いは益々激化して行くのでした・・・。


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06月23日(月)
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