ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File079】遥かなるリトル・ビッグホーン・・・多勢に無勢【中編Vol.2d】
カスター大隊集落北側に丘陵に到着・・・ベンティーン大隊及び補給中隊に対し合流命令の伝令を出す。この頃既にカスター大隊の動きはインディアン側に察知されており、クレージー・ホースやゴールに率いられたシャイアン、フンクパパ、ミニコンジュウ、オグララなどの各部族の戦士たち約3000名(複数説あり)が身を隠しカスター大隊を包囲する為移動していた。
6月25日16:30時頃
カスターからの伝令によりベンティーン大隊は応援に向かうが、途中インディアン側の激しい攻撃を受け、合流を断念・・・リトル・ビッグホーン川断崖上のリーノ大隊防御陣地に合流。
同時刻頃カスター大隊、リトル・ビッグホーン丘陵頂上付近(現在のカスター・ヒル)でインディアン側に挟撃され、各中隊毎に防御陣を組み(カスターを含むC中隊を先頭に、右翼側をF・E中隊、左翼側をI・L中隊としたV字隊形)自らの乗馬を射殺し遮蔽物にして防戦するも、奮戦空しく全滅(17:00頃までに)。カスター中佐指揮下の合衆国第七騎兵隊の一個大隊と軍属、新聞記者、クロウ族の斥候隊264名が命を落とした。CUSTER'S LAST STAND@ABCDEF
6月26日〜27日
リーノ大隊及びベンティーン大隊、インディアン側の執拗な攻撃を防戦・・・散発的な狙撃が続き損害を多数出す。その後テリー将軍の司令部及びキボン大佐指揮の主力部隊がリトル・ビッグホーンに到着し、インディアン側は序々に後退始める・・・リーノ大隊、ベンティーン大隊救助される。
6月28日午前
リーノ大隊とベンティーン大隊の生き残り部隊がカスター大隊の惨劇の地に到着・・・戦死者の確認・仮埋葬を行い撤退する。第3ラウンド・・・インディアン側勝利

知ってても余り得しない物知り知識
@カスターは第七騎兵隊の正式な指揮官ではなかった・・・
正式な指揮官はサミュエル・D・スタージェス大佐(南北戦争時はカスター同様将官まで昇った)で、リトル・ビッグホーンの戦いの時は別途派遣任務で連隊を離れていた。
Aカスターはインディアンが大軍なのを知っていた・・・
クロウ族の斥候の報告により、インディアンの集落が予想以上の大集団である事を、カスターは事前に知っていた。斥候たちは作戦中止を進言したがカスターはそれを無視、敵戦力を過少評価し、自分の指揮下部隊だけで蹴散らせると考えていた。現在では、カスターは独断専行する事により勝利を一人占めしようとしていた、と考えられている。1876年はアメリカ独立百周年記念の年であると共に大統領選挙の年でありカスターが大統領職を熱望していたのは間違いないらしい。大統領選に出馬し勝利する最も近道はインディアンを殲滅した英雄≠ニして国民の注目を集める事だったと思われている。
B最後まで従ったクロウ族の斥候たち・・・
クロウ族は早くから合衆国政府に帰順し、斥候隊員として大きく貢献していた。クロウ族は伝統的にパウダー川の流域からロッキー山脈に渡る土地で暮らしていた。ここにはバッファローが多く棲息した絶好の狩猟地で、この地を巡ってスー族とは永年の宿敵だったので、白人と手を組む事が永年の宿敵と決着を着ける絶好の機会であると考えていた。戦闘開始前、クロウ族の斥候たちが騎兵隊の軍服を脱ぎ、クロウ族の伝統的な衣装に着替えていたので、カスターが理由を聞くと「自分は今日死ぬが、死ぬ時はクロウの戦士として死にたい」と答えた。その為カスターはクロウ族の斥候たちに戦わず後退するように命令したが、彼らは最後までカスターに従った。
Cインディアンは馬鹿ではない・・・
「壮烈!第七騎兵隊」では、孤立し円陣を組んだ騎兵隊員たちの周囲を、インディアンたちが騎馬でまるで撃ってくださいとばかりにグルグル回っていたが、実際は多くの戦士が騎馬ではなく身を隠しながら近づき戦った。遮蔽物のない騎兵隊員たちは自らの愛馬を射殺しバリケードとしていたが多勢に無勢$闘は僅か30分〜60分位で終結したらしい。インディアンたちの多くが昔ながらの斧、棍棒、皮剥ぎナイフ、弓矢、槍を主たる武器として戦ったが騎兵隊員たちは隠密裏に移動するためサーベルを野営地に置いて来ておりこの為白兵戦ではインディアン側が有利だったらしい。
Dインディアンのライフル銃の方が高性能だった・・・

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03月15日(土)
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