ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File056】外伝Cこうして悲劇は語り継がれる・・・特攻花<j十六夜参りの物語
B【開聞町関連サイト検索結果】
ドラマの舞台である開聞町関連サイトのひとつで開聞岳の麓に広がる一面黄色いお花畑の写真発見・・・やったぜ特攻花だ〜ッ・・・と喜んだのも束の間、これは特攻花≠ナはなく菜の花≠ナある事が判明・・・この地域では昔から結構栽培されているらしいです。近年公開された高倉健主演「ホタル」の中のワンシーンにも、一面に広がる菜の花畑のシーンがあったような・・・開聞町ではハーブ≠竍菜の花漬け≠ェ特産品です。また町の年間行事には「二十六夜参り」なるものは存在せず・・・。
C【鹿屋市関連サイト検索結果】
海軍側の主力特攻基地・・・現在は海上自衛隊の航空基地がある鹿屋基地≠フ周辺には特攻花≠ニ呼ばれる黄色い花≠ェ群生しているのを発見・・・鹿屋基地附属資料館で販売されている記念ハガキには特攻花≠ェ写っているものがあるらしいです。鹿屋市役所の公報「かのや」には出撃する特攻隊員に宿の女将が手渡した花で、特攻隊員たちが出撃時に宿の上空を旋回し、この花を蒔いてから沖縄に向け出撃して行った≠ニいう記載が紹介されているらしいが、確認出来ず・・・です。
町の年間行事の中には「ぼんぼり祭り・特攻慰霊祭(桜の花見中心/4月上旬)」「フラワーフェスティバル(GW)」「あじさい祭り(6月上旬)」「鹿屋夏まつり(7月下旬)」等はありましたが「二十六夜参り」なるものは存在せず・・・。鹿屋市の南西部に存在する霧島ヶ丘公園≠ノは四季を通じて様々な花々が咲き乱れると記載されていましたが特攻花≠ノ関する記述はありませんでした。
興味深いのは知覧≠ニ較べ鹿屋≠ナ検索しても、ヒットする特攻関連のサイトやHPが極端に少ない事・・・一体どう言う訳なんだろう・・・?
D【種子島・喜界島・徳之島関連サイト検索結果】
種子島のロケット試験場の周辺には黄色い花≠フ群生場所があり、地元では特攻花≠ニ呼ばれている。
喜界島空港の周辺に咲き乱れる花を島の人々は特攻花≠ニ呼んでいる。本土のオオキンケイギク≠ニは異なりテンニンギク=天人菊♂ネの花。戦時中この飛行場は特攻の中継基地、緊急着陸用飛行場として使用されており、着陸した特攻隊員に島の娘たちが贈った花の種子が繁殖して群生した、との言い伝えがある。
菊科ガイラルディア属のテンニンギク=天人菊≠U〜11月が花盛期で高さ30〜90cm程度。春〜初夏に開花。北アメリカ南部〜中南米原産。明治期より渡来していた。花言葉は「協力・団結」
E【その他検索中に発見した関連記事】
鹿児島県の国分市にある陸上自衛隊国分駐屯地にある特攻基地記念公園にあるヒガンザクラ≠フ事を、地元の人々は特攻桜≠ニ呼んでいるが、これは明らかに戦後発生した呼称と思われる。
【特攻花≠ニ二十六夜参り≠フ真相】
特攻花≠ノついていろいろ検索している中で、結論とも言える記事を見つけました。それは読売新聞の1998年6月9日夕刊テレビ欄に掲載された「二十六夜参り」の紹介記事です。それには・・・武田鉄矢氏の原作「二十六夜まいり」は特攻≠ノ関する幾つかのエピソードを合作した・・・完全な創作≠ナあった・・・という事が書かれていました。
【エピソードA】
戦後、鹿児島地域に群生するようになったオオキンケイギク¢ョの黄色い花を何時しか地元では特攻花≠ニ呼ばれるようになった。それには「出撃する特攻隊員が空から撒いた花」「南方から帰還した航空機に付着して花が根付いた」「花の一本一本に死んでいった特攻隊員の魂が宿っている」「特攻隊員の遺族が、遺骨の替わりに花の種を持って帰った」等の話が付随して語り継がれたらしい。この話を補うものとして奄美大島や喜界島で、群生しているテンニンギク¢ョの花々を島の人々の間が特攻花≠ニ呼んでいるエピソードがある。
【エピソードB】
戦争末期の物資が少ない中、宿泊した特攻隊員に対し地元の人々は自分達の食料を惜しみなく提供した。そして特攻隊員たちが出発する時、宿の女性が別れ際に裏山に咲く花を手渡した・・・と95年7月のコンサートツアー時に宿泊した宿の年老いた女将が武田氏に話した。
【エピソードC】
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09月14日(土)
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