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せきねしんいちの観劇&稽古日記
by せきねしんいち
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■杉並第一小学校演劇授業 「許しつづける女たち」仕込み
朝目が覚めるとまだ外が暗い。5時前。もう秋なんだなあと思い、また寝てしまう。
朝10時から、杉並第一小学校の演劇授業。講師は山本健翔さん、僕はお手伝いというか見学させてもらう。
まずはゲームから。声のキャッチボール。全員で大きな輪になって、好きな相手に声を投げる。どんな声でもいい。かけ声のようなもの。
6年生は単学級。35人がちょうどいいかんじの大きさ。
つづいて「にょっき」。はじめはちょっと緊張気味の彼らがだんだん笑顔になってきた。
体育館に入ってきた彼らを見て、最初に思ったのは、緊張のしかたが、一昨年の富士見丘小学校の6年生と似ているなあということだ。緊張というか、かまえているかんじ、鎧っているかんじ。
平田さんと「大人だねえ」という話をしたのだけれど、それはそのまま、ちょっと構えているということなんだと思う。
去年、今年の富士見丘小の子供達からはあまりかんじられない雰囲気だ。
この間の授業のあと、形にならないものの継承という話を校長先生からうかがった。それは伝統といってもいいのかもしれないけど、見ていただけで同じことをやったわけではないのに、明らかに、一年目より二年目、二年目より三年目の方が、演劇に向きあう姿勢が自然にできている。
話を聞くときの態度や、やってみるときの態度。行儀がいいというのとも違う、ちゃんとした向き合い方。演劇は約束だというのは、去年の授業で僕らが何度も言ったことだけれど、その約束を守るという姿勢がいつのまにか身に付いているのかもしれない。
今日の子供たちから感じたのは、そんなあれこれ。でも、もう一つ思ったのは、演劇って何なのか? 何のためにやるのか?という問いに対する答えがちゃんと渡されているかどうかというのも大きなことなんじゃないかということ。
富士見丘の一年目の子供たちは、まったく初めて演劇に触れて、思いもよらないことを次々にやっていった。それがいったいに何のためなのか、何になるのかもよくわからないまま。卒業公演に向けての授業も同様だ。二年目になる去年は、「下級生に伝えたいメッセージ」というものがはっきりあったから、少なくとも「なんでこれをやるのか?」という理由は手に入ったと思う。一年目の彼らの心細さが、今日、初めて会った子供達の様子から、ふと思い起こされた。
さて、健翔さんの授業は、続いて、台本。
三年に一度の学芸会のためのお芝居の練習。オーディションの前に、子供達にアドバイスというか、いつもとは違った面から演劇に触れる機会をというのが今回の授業の目的(だと思う)。なので、ウォームアップのあとは、台本を読んでみる。
輪になって、「。」「、」までを一区切りにまわしながら。
続いて、シーンを抜いて。ぼくと平田さんも輪に入って、一緒に読む。
ぼくのとなりの女の子が、ずっとうつむいている。ゲームをしているときから。読んでみてもなかなか声がでない。そのうち、輪から外れて、後に行ってしまった。他の子供達も、そっと見ているかんじ。
少し読んでみたのだけれど、やっぱり下を向いてしまった。きっと、自分でうまくいかないのが納得いかなくて、胸がいっぱいになったんだと思う。ぼくも、小学校のときはそんな子供だった。涙が出てきて、胸がいっぱいになってしまう気持ちはよくわかる。でも、なんとか今日の授業を楽しんでほしいと祈る。
その後、いろいろやっていくなかで、少しずつ、参加できるようになった。それで全然だいじょうぶ。ちょっとほっとする。
台本の最後のシーンでの、正義と悪の対立(おおざっぱに言うと)の場面。両方が歌を歌う。このシーンの歌詞をみんなで読む。
そのあと、健翔さんは「北風と太陽」って知ってる?と質問した。イソップ童話の「北風と太陽」。
北風と太陽が、旅人のコートを脱がそうと競争する。北風が冷たい風を吹かせてもだめだけど、太陽が暖かい日射しで温めたら、コートを脱いだ。という話。
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10月19日(木)
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