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せきねしんいちの観劇&稽古日記
by せきねしんいち
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■「メゾン・ド・ヒミコ」
ゲイの老人たちには、友情も、生きる勇気も見せてくれない。たまにしゃべるのは、叙情的な追憶か、観客を笑わせるための台詞が大半だ。ゲイをどう描くということよりも、老人をどう描くかということに関しても、ちょっとどうかと思った。今時、こんなゲイ像ってどうよと思う前に、こんな老人像ってどうなんだろうと。
途中でどうにもつらくなったので、僕は、柴崎コウの視点で見ることにした。その途端、この映画は一気におもしろくなってくる。すべてが彼女を中心に、彼女の都合良く、彼女においしく展開するのだもの。
これはもうワクワクする、パーフェクトなハーレクインロマンスじゃないだろうか。なぞめいた男性、一応、ゲイってことになってるけど、限りなくグレーゾーンな美しい男に寄せる思い。ゲイの老人たちは、二人の出会いのための凝りに凝った背景、舞台装置だ。ちっとも脅威ではないアフリカの大自然。
彼女の視線を通して見るオダギリジョーの美しさはどうだろう。不可解な設定は、より余計、彼をミステリアスに魅力的にしていく。
ダンスホールで踊ったあと、キスをされる。どうして? 観客としてもわけがわからない。でもいいの。柴崎コウも「どうして?」って思ってるから。
そのあと、ベッドに誘われる。ここにおよんで「どうして?」という疑問は、なんでこんなにノンケのベッドシーンばかり見せられるんだろうというバカバカしさに変わり、さすがにちょっと引いてしまう。でも、ハーレクインロマンスだから、ベッドシーンは不可欠なんだとあきらめる。
それでも、最後に、ヒミコが死んだ後、柴崎コウが彼女の会社の社長(西島秀俊)と寝たと聞いたオダギリジョーが「うらやましかった。お前じゃなくて、あいつが」と言うのを聞き、つぎに、疎遠になった柴崎コウを、住人たちが呼び戻すという落ちを観たときには、ついにあきれた。よくこんなに都合のいい展開ばかりを選んだものだと。
出演者は、みんなとってもいい芝居をしている。さんざん柴崎コウの悪口(?)ばかり書いてきたけど、彼女もとってもいい。オダギリジョーも、複雑な、ほとんどというか、僕にとってはやっぱり、ありえないと思える人物を、瞬間瞬間を誠実に生きることで成立させている。住人たちも、みんなみごとな存在感と演技だ。だからこそ、際だってしまう、視点の「身勝手さ」だと思った。
ここまで書いてきたのも、この映画をある種の「ゲイ映画」だと思って観たからこその失望なのだということはわかっている。これは、ゲイが登場するけど、ゲイを描こうとはしていない映画なんだと思う。活き活きとした人物は登場するけど、俳優さんたちは素晴らしい演技をしているけど、映画は彼らを描こうとはしてない。
それでも、大好きな場面はいくつもある。いやがらせをしていた中学生が、オダギリジョーに恋をしてしまい、友人たちに別れを告げて、メゾン・ド・ヒミコにやってくる場面。彼が、山崎と一緒におはぎをつくる場面。その時々の彼の視線の先にいるオダギリジョー。柴崎コウがいない場面は、彼女をおいしくしようとする作為が直接は成立しないので、画面は急にのびやかになったような気がした。それは、見ている僕がほっとしたせいなのかもしれないけど。
僕が観たかったのは、やってきた中学生の視点から語られるメゾン・ド・ヒミコの物語だったんだなと思った。予告編で上映された台湾映画「僕の恋、彼の秘密」はどんな映画なんだろう。「メゾン・ド・ヒミコ」にはないものばかりでできているそんなゲイの映画のように思えて、早く見たくなった。
最後に、ずっと触れなかった田中眠が演じるヒミコについて。彼の存在感はすばらしいものだけれど、この役としてはどうなんだろう。彼が、ゲイバーで一世を風靡したというのがよくわからない。壁に貼られた写真の中の彼が、これっぽっちも今の姿と変わってないのはどうしてだろう? 今は、病気で死にそうだからあの風貌ってことなんだとばかり思ってたんだけど。ついでに言うと、写真の片隅に映ってるルビイの今のまんまさ加減にもびっくりした。そうした理由はあるんだろうけど、もっとどうにかならなかったんだろうか。
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10月31日(月)
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