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せきねしんいちの観劇&稽古日記
by せきねしんいち
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■「喪服の似合うエレクトラ」@新国立劇場
ぼくは間違いなく、二人の女優の対立を基本にこの芝居を見てしまっていたので、三田さんがいなくなった後の、3幕はややつらいものがあった。
オリンとクリスティンの対立がいまひとつあざやかにたちあがってこないということと、瞬時にくるくると優劣が入れ替わるとんでもなくスリリングな戯曲の構造が見えてこなくなってしまったからだ。
それでも、すごいものを見たという気持はかわらない。
もちろん、文句もいろいろある。
アダムはどうしてあんなに内向した台詞のしゃべり方をするんだろう。港のシーンでは、クリスティンとの二人芝居が、とっても成り立ってないように見えた。あんなに自己中心的な男が二人の女に愛されてる理由が全く見えない。
オリンに撃たれて死ぬところで笑いが起きたのは何でだろう? 笑う観客もどうかと思うけどね。
この家に仕えている召使い役の男性の芝居がどうにかしてほしいくらいつらかった。シェナンドー河などの歌を歌うんだけど、その歌を歌う言い声のままで、とんでもない大芝居をしてる。港町の酔っぱらいも同様。
大竹しのぶは、かたくなな娘をまっすぐに表現していたと思うけれど、受けて立つ三田さんがいなくなってから、相手を失ってしまって、よくわからなくなってしまった。
堺雅人か、西尾まりがもっと彼女に見合うだけの大きさだったら、よかったんだろうか?
上演時間4時間という心配は、思い切りの杞憂だった。
もっとも、第三幕が始まるととたんに時計はゆっくり進み始めるけれども。
「夜への長い旅路」は三田さんにとっての「オンディーヌ」かもしれないと書いたけど、今回思ったのは、三田さんがかつて演じたラシーヌの「フェードル」の延長にこのクリスティンがあるんだろうなということだった。
四季でたたきこまれた朗誦法と台詞の解釈は完璧といっていいと思う。20年前のフェードルは正直ちょっと退屈だったけれども、今回のクリスティンは、彼女自身の肉体との葛藤という大きな視点をくわえて、登場人物の中で唯一、神話的人物の大きさをそなえていると思う。
「おやすみにならなくては」と言って、驚いて振り返る。何度かマネしてみたけれど、どうやっても、説明的な芝居になってしまう。説明でなく、新鮮な驚きがまっすぐ伝わるような演技。どうするとそんなことができるんだろう。いろんな場面の台詞を思いかえしながら、芝居について演技について、考えた。
芝居について考えてばかりの帰りの電車の中で、人の話し声が耳についてどんどんいらいらしてしまう。さっきまではなんともなかったのに、また頭がぼーっとしてきた。
少し考えるのをやめて、眠ることにする。
家にたどりついて熱を計る。38度ちょうど。すぐに寝る。
11月25日(木)
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