ID:45126
あんた何様?日記
by 名塚元哉
[35281841hit]

■拉致被害者に冷たい人権派は信用していません。
民主・北沢氏代表支部も香典支出 防衛相在任中に(共同通信 11月13日)

民主党副代表の北沢俊美元防衛相(参院長野選挙区)が代表を務める同党総支部が、
2009〜11年の防衛相在任中、選挙区内で行われた葬儀の香典代として、
35件計約90万円を支出していたことが13日、分かった。
公選法は、政党支部や資金管理団体が選挙区内で香典を出すことを禁じている。
議員本人が出席し、私費で出した場合は罰則が適用されない。

 民主党長野県参院選挙区第1総支部の収支報告書によると、
香典は、いずれも県内の個人に対して支払っていた。

 北沢氏の事務所は取材に「収支報告書の内容を正確に把握していないので、対応できない」としている。

なぜ、民主党はいつも追及の前にブーメランで返ってこないか調べれないのか。


インタビュー 袋詰めで船へ 恐怖と不思議…蓮池薫さん(読売中高生新聞 11月12日)

北朝鮮に拉致され、2002年に帰国した蓮池薫さん(58)が
読売中高生新聞のインタビューに応じた。

 「若い世代に拉致問題をもっと知ってほしい」と拉致当時の状況や
24年間におよんだ現地での暮らし、家族への思いを語った。


あの日……


 「たばこの火を貸して」

 1978年7月31日。新潟県柏崎市の砂浜で今の妻・祐木子とデート中、
見知らぬ男からかけられた言葉が全ての始まりでした。

 ライターを取り出した瞬間、誰かに羽交い締めにされ、ぼこぼこに殴られました。
その後は袋詰めにされて船に。もうろうとする中、「何かの間違いであってくれ」と願いました。

 陸に着くと、日本語ができる人間がいて「ここは北朝鮮だ」と告げられた。
何を尋ねても「平壌で聞け」と言われるばかり。
「世の中にこんなことがあるのか」と恐怖と不思議しかなかった。
当初はなんであの海に行ったんだと悔やみ続けましたね。

 朝起きるのがとにかくつらい日々でした。
目が覚めた時、全てを失ったという思いが頭に刻まれるんです。
今でも起きた瞬間、「ここはどこだ」「あー日本でよかった」と思うことがあります。
私は楽しい朝を迎えられる人が一番幸せだと思っています。
向こうに残されている人は、毎朝がどんなにつらいか。


拉致の目的


 平壌では最初、「招待所」と呼ばれる工作員養成所に収容されました。
最初は私を工作員に育てようとしているようでした。
ただ、同じように拉致されたレバノン人女性が海外でのスパイ活動の実習中に
逃げ出す事件があり、私への工作員教育はすぐに中断しました。

 その後は平壌から離れた場所で工作員に日本語を教えたり、
日本の新聞の翻訳をさせられたりしました。

 拉致されて1年9か月後、私は祐木子と結婚しました。
それまで彼女は帰国したと聞かされてきましたが、
北朝鮮は2人が逃げ出さないよう結婚させたのだと思います。
実際、私たちは2人の子を授かり、北朝鮮で生きるしかないと覚悟を決めました。


現地の人々


 招待所で暮らしている時、当局の人間は我々を監視するのが役目なので、
踏み込んだ話はしてきませんでした。
私も距離を置き、自分の本心が悟られないように接しました。

 北朝鮮の一般社会のことを教えてくれたのは、
招待所に出入りする料理人や電気工事の職人です。

 知り合った一般の市民は、飢饉ききんや低い給料で生活が苦しい中、
家族をどう守り、子どもを育てていくかを必死に考えている人ばかりでした。
悪い印象はなかったので、食糧や生活物資を分け合ったりしながら生きてきましたね。


2人の子ども


 子どもたちには自分たちが日本人だとは言わなかった。
日本に帰ることもないとあきらめていたので、日本語を教えることもありませんでした。


[5]続きを読む

11月13日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る