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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■阪神淡路震災から16年目、忘れられない避難所での体験
明日で震災から16年目を迎えます。
神戸に住んでいることもあり被災しましたが、
毎年のように、震災の日に、
当時のことの思いでや震災への思い、防災についてなどを書いていると、
正直なところ綴る内容も無くなってくるというか、
同じようなことしか書けずにマンネリ化してくるので、
今まで書いてこなかったのですが、
16年が経過したので、周囲にも迷惑が掛からないだろうと考え、
震災時の忘れられない体験を書きます。
震度7の揺れで、我が家はドアが吹き飛び壁が崩れ落ちるなどの大きな被害でしたが、
全壊ではないので避難するほどでもないだろうと考え、
とりあえず、一部屋だけ倒れた家具や割れた食器などを片付け、
震災当日は、電気も停電しており、
服を重ね着して、石油ストーブを囲んで家族全員で暖を取っていました。
日が落ちるにつれ、震災による火事で遠くの空が赤々としていて、
火が迫って来ているように感じられ、だんだんと恐怖心が増す中で、
日付が変わった深夜の1時頃にようやく電気がつきまして、
あの時の嬉しさというかホッとした安堵感は忘れられないのですが、
テレビを点けると、強い余震の恐れがあるので、
無理に住宅で過ごさず避難してくださいとアナウンスがあったので、
父が近くの小学校へ様子を見に行ってみるも、
人がグランドまで集まって大変な状況なので、
他に場所はないかと探していたところ、
近所の会館は避難所に指定されていない場所だったのですが、
どうやら管理人の方が避難場所にと解放してくださっているようで、
まだ、人の入れる余裕のある会館へ避難しました。
暖房が入っていたので、余震の不安に怯えながらも暖かく夜を過ごしたのですが、
一夜明けて、冷静に自宅を見てみると、
かなり危ないかもしれないということと、
崩れた壁などの隙間から入る風で寒いこともあり、
家の応急処置的な修復が終わるまで、
しばらく会館で生活することになったのですが、
その避難所が連日のようにテレビや新聞などの取材が訪れる、
ある騒動に巻き込まれました。
それは、少し落ち着きを取り戻しつつあった震災から1週間後のことです・・・。
避難所として解放していた会館の管理人さんが、心変わりしたのか、
「1月31日までに全員ここを退出するように」と入口に張り紙を貼ったのです。
その張り紙によって避難所は騒然となりました。
出て行けと言われても、
避難している方々は自宅が全壊もしくは半壊で帰る場所がありませんし、
他の避難所は、すでに満杯の状態で、
お弁当などの救援物資も決まった数が届けられるわけですから、
いきなり、そこへ移るのも難しい問題です。
どうするか、避難している人が集まり相談していたところ、
マスメディアを利用すれば、
管理人さんが考え方を変えてくれるんじゃないかということで、
神戸新聞社に知り合いのいる人が問い合わせたところ、
皆が困っている時に避難所から追い出されそうな人たちが居る事実は、
センセーショナルな話題なので、すぐに記者が訪れ、
次の日には神戸新聞に取り上げられました。
その記事を見た、他の新聞社やテレビ局が次々に訪れ、
皆が困っているときに、なんて酷いことがとばかりに、
ほぼ毎日のようにニュースやワイドショーで取り上げられ、
鳥越俊太郎氏の『ザ・スクープ』では、
避難者の代表と会館の管理側との話し合いを取材し放送したりと、
一番、多く取り上げられました。
話し合いの結果、2月10日までに親戚や友人を頼れる人など、
なんとか出て行ける人は出て1階だけ明け渡し、
それ以外の人は2階で生活し仮設住宅が当たったら速やかに退去する事に決まりました。
我が家も、まだ修復作業は進んでいなかったのですが、
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01月16日(日)
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