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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■生涯、紳士であり続けた日本人

このダンディな男性をご存知でしょうか。

彼の名は、白洲次郎(しらすじろう)。

日本の戦後史に詳しい方なら説明は要らないと思われますが、

知らない人のために白洲次郎なる人物を紹介します。

明治35年兵庫県芦屋市生まれ。
大正8年、神戸一中卒業後、17歳で英國ケンブリッジ大学に留学。
紳士としての教養とマナーを身に付ける。
昭和3年に父親の会社が倒産したため帰国。
英字新聞の記者に。
昭和4年、樺山伯爵家令嬢の正子(後に随筆家となる)さんと結婚。
その後、商事会社取締役から日本食料工業取締役に。
昭和15年、「間もなく日米が開戦する。必ず日本は敗北する。
しかし、敗北経験の無い日本は最後まで抗戦するだろうが、
その代償に東京は焼け野原にされるだろう。そうなると、食料がなくなるから、
俺は田舎で農業をやる」とあっさりと都会暮らしを止め、
鶴川村に疎開し、農作業を始める。
(後に、白洲氏の予見どおりの結末を日本は迎える。)
昭和20年、吉田茂の側近として終戦連絡事務局次長、経済安定本部次長、
貿易庁長官を歴任と戦後、日本の命運を左右する大事業に抜擢され、
日本政府とGHQとの折衝にあたり日本国憲法制定の現場に立ち会う。
GHQに従わないものは容赦なく現場から排除される中、
「日本は戦争に負けたが、奴隷になったわけではない!」と、
卑屈になった日本の高官や政治家を叱り飛ばし、
流暢な英語を武器に、歯に衣着せぬ物言いで正論を吐き、
連合国軍総司令部(GHQ)と対等に渡り合い、
日本の早期独立と経済復興のために尽力する。

マッカーサーの側近のホイットニー民生局長と初対面した折には、
「白洲さんは英語がお上手ですな。」とお世辞を言われれば、
「閣下の英語も、もっと練習すれば上手になりますよ。」と切り返し、
敗戦後初めてのクリスマス、天皇陛下からマッカーサー一家に贈る
沢山のクリスマスプレゼントを託され白洲氏が持っていた時に、
マッカーサーの身辺は贈り物でいっぱいで置き場が無かった。
マッカーサーは床に目をやり、そこに置いていけとという仕草を見せた瞬間、
白洲氏は怒りを爆発させ
「いやしくも私が天皇陛下から託された贈り物である。
それを床に置いておけと何事かっ!」とマッカーサーを叱り飛ばした。
それに驚いたマッカーサーは、
慌てて新たなテーブルを用意したという逸話は有名。
『相手が誰であれ理不尽な態度は許さず、これを正す。』の
紳士道としての“理念”と“規範”を貫き通し、
GHQから「占領下、ただ一人の従順ならざる日本人」と言わしめる。

その後は、東北電力会長や各社の会長を務めるが、
昭和34年、57歳の時に政財界の第一線からはあっさり身を引き田舎へ隠棲。

無類の車好きで、80歳になるまでポルシェ911を乗り回した。

昭和60年没(享年83歳)
遺言は「葬式無用、戒名不要」の僅か2行だけ。
生涯を貫いたのは「プリンシプル、つまり原則に忠実である」という信念。



私が、白洲次郎氏を知ったのは、

恥ずかしながら去年のあるTV番組がきっかけでした。

ジーンズを初めて穿いた日本人として紹介されていました。

男が見てもカッコいいと思わせる、

その気品溢れる顔立ちとルックスもさることながら、

考え方、実行力、衣食住遊すべてを含めた

無駄のない生き方に、あっという間に虜になってしまいました。

白洲氏について書かれた本を読もうと探している時に

タイミングよく発売された雑誌『サライ』の白洲次郎特集号や、

白洲次郎について書かれた書物が数冊を読んで、

白洲氏は、自分にも他人にも厳しく、

この人には敵わないという雰囲気をもっているのですが、

実は、情に厚く、周囲への心遣いがしっかりできる本当の優しさを持っており、

白洲氏は私の中でますます尊敬できる人物になるのでした。


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09月08日(木)
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