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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■拉致被害者に冷たい人権派は信用していません。
子どもたちは、地方にある寮つきの学校に入れられましたね。
そもそも招待所の存在が秘密のため、近くの学校に通わせることができなかったのです。
95年以降、北朝鮮は深刻な食糧難に見舞われます。
招待所で配給される食材も質がすごく落ちて、
妻は半分腐っているような魚を一生懸命に下処理して調理していました。
でも招待所はまだ良い方。米は配給されたし、
畑でトウモロコシやゴボウを育てることもできた。
一般社会は違います。平壌の街中でさえ、中学3年の子が小学校低学年くらいの身長しかない。
学校の給食は白米の入らない雑穀米が出て、おかずも野菜の塩漬けくらい。
生きてはいけるかもしれないけど、栄養の摂取が心配で、
子どもたちが帰ってきた時は取っておいた配給物の大豆を煎って持たせたものです。
日本に残る
2002年、私たちは子どもを残して一時帰国を許されました。
北朝鮮は子どもがいれば我々は戻ってくると考えていたようです。
子どもたちに日本に戻るとは告げられず、国内旅行に出かけると言って別れましたね。
いつも子どもが寮に戻る時はそれほど多くの言葉をかけなかったのですが、
その日は「健康に気をつけろ」「勉強頑張れ」と言う私に何かを察しているようでした。
子どもと離ればなれになるのは非常につらかったですが、
私たちは日本に子どもを呼びたいと思い、日本で待つことを選択しました。
日本のような国で、自らの意志で将来を描いてほしいと思ったのです。
向こうは朝鮮労働党幹部との関係や賄賂が物を言います。
努力すればちゃんとご飯を食べられて、寒さをしのげて、
人並みに結婚できるというような社会ではないんです。
1年半後、子どもたちはようやく日本に帰国することができました。
今は2人とも自分で選んだ道を歩いています。
私と妻が日本に残ったのは間違いではなかったと思っています。
北朝鮮にいる拉致被害者が日本に帰国する日が来たら、
親と子どもをバラバラに、なんてことはしないでほしいです。
10代へ
部活、趣味、ゲーム、家族とのだんらん……。
ほんの少しの時間でいい。自分の楽しいことが一つ残らず全て奪われる状況を考えてみてほしい。
拉致被害者の気持ちがわかると思います。
拉致問題の解決は帰国させること以外ないのです。
彼らを救うために何かできないか、考えてみてほしいと思います。
【蓮池さんをめぐる経緯】
1978年7月 北朝鮮に拉致される
80年5月 祐木子さんと結婚。その後、2児を授かる
2002年10月 祐木子さんと帰国
04年5月 長女と長男が帰国。
「子どもたちが日本に来た日が私たちにとって本当の帰国日です」
「人が犯す最も大きい罪は、人の全てを奪う殺人、
他人の自由を奪う拉致も殺人と同じぐらい罪が重い。」
これは、蓮池さんが翻訳した小説の作家が蓮池さんに語った言葉ですが、
拉致された本人は突然に自由を奪われ夢を絶たれ、
拉致被害者の家族は突然に家族を失い悲しみの日々を送る。
拉致は本当に殺人ぐらいに罪が重いものだと思っています。
人権派の中で拉致被害者に冷たい人たちを私は信用していません。
私は元々はサヨクでしたが、
北朝鮮が拉致を認めた2002年に、
普段は人権運動に熱心に取り組んでいたのに、
拉致被害者家族には冷淡だった社民党や
同じ仲間だった左翼運動家に疑問を感じて離れました。
ああ、この人たちの人権運動というのは反政府運動に利用できそうなものに
飛びついているだけなのだと気がついたためです。

11月13日(金)
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