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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■朝日新聞が遂に慰安婦の一部強制連行は嘘と認める。
干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。
魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は
「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。
「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する
立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した
映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。
93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという
韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは
「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、
記述にあるような証言は出なかった」と語った。
吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、
その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。
しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、
妻は日記をつけていなかったことがわかった。
吉田氏は00年7月に死去したという。
吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、
「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、
動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、
吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=注@。
戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、
吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、
「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、
職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。
吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、
済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。
この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、
済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。
「記述内容は事実とは考えられない」と話した。
■読者のみなさまへ
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。
済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。
研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。
注@ 吉見義明・川田文子編
「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店、1997年)
「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視(朝日新聞 8月5日)
〈疑問〉朝鮮半島出身の慰安婦について朝日新聞が1990年代初めに書いた記事の一部に、
「女子挺身(ていしん)隊」の名で戦場に動員された、という表現がありました。
今では慰安婦と女子挺身隊が別だということは明らかですが、なぜ間違ったのですか。
慰安婦問題を考える
「女子挺身隊」とは戦時下の日本内地や旧植民地の朝鮮・台湾で、
女性を労働力として動員するために組織された「女子勤労挺身隊」を指す。
44年8月の「女子挺身勤労令」で国家総動員法に基づく制度となったが、
それまでも学校や地域で組織されていた。
朝鮮では終戦までに、国民学校や高等女学校の生徒ら多くて約4千人が内地の
軍需工場などに動員されたとされる=注@。
目的は労働力の利用であり、将兵の性の相手をさせられた慰安婦とは別だ。
だが、慰安婦問題がクローズアップされた91年当時、
朝日新聞は朝鮮半島出身の慰安婦について
「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、
慰安所で日本軍人相手に売春させられた」(91年12月10日朝刊)、
「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。
その人数は8万とも20万ともいわれる」(92年1月11日朝刊)と書くなど両者を混同した。
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08月05日(火)
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