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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■オリンピックそのものがナショナリズムの発露の典型でしょ。
メダル競争ではなく、世界から集まった選手と出会い、
共に競技することにオリンピックの意義を見出すに違いない。
憲章に唱われているように参加した選手たちが友情、連帯、相互理解という
人間性を発揮することにこそ、オリンピックの普遍的な価値があるはずだ。
しかし、実際にはナショナリズムに基づいた国威発揚の手段として
メダル競争がオリンピックを支配してしまい、選手の人間性は歪まされ壊されている。
ナショナリズムを克服するにはどうすればいいのだろうか。
ドイツで戦争と革命の世紀を生きた女性画家のケーテ・コルヴィッツは、
第一次大戦が始まったとき、息子への手紙にこう書いている。
<私たちは言いました。『国際主義の理念はしばらく後退せざるをえないだろう。
しかし、あらゆるナショナルなものの背後に、インターナショナルなものが厳存する』と。
ナショナルな発展の現状は、袋小路に行き着きます。民族的な生活を保持しながら、
ナショナルなものどうしの衝突を不可能にするような立場を、
見いださねばなりません>【「ケーテ・コルヴィッツの肖像」(績文堂出版)】
ケーテ・コルヴィッツは、国際主義によってナショナリズムを克服することで
戦争のない平和な世界をつくりだせると確信していた。
国を超える国際主義の思想によってしか相互理解や連帯などの人間的価値は、
実現できないといえるだろう。ナショナリズムに呪縛されて日の丸や
メダルしか考えていない日本選手団にとって、あまりにも難しい課題だ。
谷口源太郎(スポーツジャーナリスト)
(ダイヤモンドオンライン 8月11日)
-----------------------------(引用終了)----------------------------
選手はともかくとして、
やたらメダルを連呼するメディアには、
毎度うんざりしますが、
国際大会の場において、
メダルが勝者に与えられるものであれば、
参加する選手としては、
それを目指すのは当然のことではないでしょうか。
代表選手となったのですから、
「日の丸のために」と言葉になるは自然のことですが、
その言葉も、わかりやすい記号的なもので、
選手の根底にあるのは、まずは自分自身のためであって、
自分の活躍を“国威発揚”のために役立てて欲しいと考えて、
戦っているような選手は現在において存在しないでしょうし、
オリンピックを見ている国民も、
自国の選手が活躍するの姿を観て、
胸のすくようなカタルシスを得るのは当然であり、
そのカタルシスの中にナショナリズムが含まれるだけで、
“国威発揚”そのものについては、眼中にもないでしょう。
だいたい、今時、メダルを取ることで、
それを国威発揚に繋げようとしている国なんて
北朝鮮のような独裁国家ぐらいなもんです。
それにしても、全世界が同じように熱狂して、
カタルシスやナショナリズムの発露になっているオリンピックや
サッカーのワールドカップを見て、
「偏狭なナショナリズム」だとか言って怖がったり、
「過去の戦争の反省が足らない」と憤慨している人というのは、
世界広しといえども日本人だけではないでしょうか。
過去のことに囚われすぎて、
純粋にオリンピックを観て楽しめない人って可哀想ですね。

目薬を入れるのは平気。
08月11日(月)
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