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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■靖国合祀が政府主導は周知の事実
許されることではない。
小泉前首相が繰り返した靖国参拝に、私たちは反対してきた。
政教分離の原則に反する恐れがあるというのも一つの理由だった。
当時のような政府と神社の関係が今も続くとは思わないが、
そんな過去があっただけになおさら、
政府は一線を画す姿勢を明確にする必要がある。
私たちは、特定の宗教色のない国立の追悼施設をつくるべきだと主張してきた。
そこでは天皇や首相をふくめ、だれもがわだかまりなく戦争の犠牲者を
悼むことができる。改めてそうした施設の必要性を痛感する。
公表された資料は貴重なものだが、A級戦犯が実際に合祀された
78年の前後の記録が欠けているのは残念だ。これらの資料の公表を求めたい。
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いわゆる戦犯の名誉回復は無かったことになっているのでしょうか。
昭和27年(1952年)に日本は晴れてアメリカの占領下から独立したわけですが、
昭和27年に発効されたサンフランシスコ講和条約の
同講和条約第11条では同時に、「戦犯」の赦免や減刑については、
「判決に加わった国の過半数が決定する」と定めていたので、
「戦犯救済!軍人恩給を!」と全国で戦犯釈放運動が広まり、
当時の成人のほとんどいってもよいくらいの四千万人もの署名が集り、
その署名運動により、昭和28年に戦犯の赦免に関する決議が国会で、
社会党や共産党まで含めて一人の反対もなく決議されました。
そして国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条にもとづき
関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は昭和31年に、
BC級戦犯は昭和33年までに赦免し釈放しました。
こうして「戦犯」の人達は国内外から免責され、
結果として靖国神社に合祀される対象となったのです。
このように、国民のほとんどが合祀を望み、その声に応える形で、
社会党を含む全会一致で名誉回復が決まり、
旧連合国の承認も貰っての合祀となりました。
そういう流れの中での、旧厚生省と靖国神社の連携だったわけで、
要するに政府厚生省が関与して合祀に主導していたことは周知の事実です。
今更、それを裏付ける資料が出たことで、
知らなかったかのような驚き方をしても説得力がありません。
大体、戦死者を祀る神社が戦死者リストを政府から貰わないで、
一体どこから貰えるというのでしょうか。
当然、合祀された当時は「靖国問題」なんてものは影も形もなく、
現代の自分たちの理屈だけで、分祀しろと言ったり、
新たな追悼施設を作れと言うのが私には一番理解ができません。
政府見解で戦犯は存在しないことが2年前に発表されましたし、
靖国問題で政府答弁書決定 「戦犯」は存在せず 公式参拝であっても合憲
いわゆる戦犯合祀が政教分離に反するという理由で、
国が新たな追悼施設という宗教施設を造れば、
それこそ「政教分離」に反するのではないのでしょうか。
慰霊する上で、まず一番に考えないといけないのは、
死んだ人たちのことではないでしょうか。
彼らは「死んだら靖国に祀られる」
「靖国に会いにきてください」と思いつつ死んでいきました。
死んだ将兵のことを思えば、追悼施設は靖国神社以外にあり得ません。
それから、いわゆるA級戦犯という数人を中心とする「軍部」だけに
責任があって日本国民は無罪というのは戦争を語る上で無責任すぎます。
軍部のみならず開戦に至る経過で日本の新聞も係わったし、
当然、世論の後押しもあったわけで、
軍部だけに全責任を押し付けるというのは、
結局、戦争は勝ったものが正義、
勝てば官軍という暴力主義を体現していることの裏返しに他なりません。
戦争が終わって60年以上経った今日、
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03月30日(金)
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