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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■1・17 「誰かのために何かができる。」
とても文字では表現できない、激しくかき回されるような大きな揺れを経験しました。
布団の中で、必死にクッキーを押さえ、
何かが落ちる音や、ミシミシ、ベキバキという音を聞きながら、
揺れが収まるのを待ちました。
地震直後は、唖然呆然でいったい何が起こったのか理解に苦しみ、
すぐに地震だと認識できないほどでした。
今でも、背後から大型トラックが近づいてくると、
地鳴りを思い出して、思わず緊張感が走ります。
幸いな事に家族全員怪我も無く助かったのですが自宅は半壊でした。
外に出れば倒壊した家屋が目に入り、
風に乗って火事の煙や臭いが流れてきました。
日が暮れて夜になると、下のほうのJR六甲道辺りで燃えている火災により、
南の夜空が赤く染まっていて、火の気が近づいてくるような錯覚に囚われ、
とても怖かったことを今でも覚えています。
深夜の2時ごろに電気が復旧し、
テレビをつけたところ、「余震が続くので半壊の家であっても
避難所へ避難してください。」とアナウンサーが呼びかけていました。
それを聞き、近くの2階建ての小さな会館に避難して約3週間ほど過ごしました。
あの日、淡路と神戸の人たちは、最愛の人や思い出のいっぱい詰まった家、
思い出の品、思い出のある町並みなど数多くのものを失いましたが、
それと同時に、全国各地から集まった自衛隊のみなさん、消防のみなさん、
警察のみなさん、医療チームのみなさん、電気、ガス工事のみなさん、
ボランティアのみなさんなどなど、
救助救援復旧活動に携わってくださった多くの人々からの
暖かい支援の輪の心に触れることができ、
多くの出会いや教訓を得たことも確かです。
今でも言い尽くしきれないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。
全てのみなさん本当にありがとうございました。
政府やメディアは、この震災の多大なる犠牲や、
救助救援復旧活動に携わってくださった方々から、
何かをちゃんと学び取ることができたのでしょうか。
また明日になると、何事もなかったかのように、
来年の1月17日が訪れるまで、TVや新聞は報道しなくなりますが、
しかし、復興に向けて一生懸命努力している人たちや、
最愛の人を亡くし、寂しさの中で、
心の傷と懸命に戦って生きている人たちが、
たくさん居ることをどうか忘れないでください。
震災からの10年間は復興への10年。
これからは、いかに減災に繋げていくのか教訓語り継ぐ10年なのだそうです。
他の地域にとっては、もはや他人事なのかも知れませんが、
被災した人にとっては一生忘れたくとも忘れられない記憶です。
震災を体験した当事者であれば、5年、10年後も
映像や文字でその日々の状況を伝えることができますが、
しかしながら画面を通しての映像や紙を通しての文字は記号の集まりですから、
細部にわたるリアリティーを伝えるには限界があり、
いかに説得力のある教訓を与えることが出来るのかが難しく、
このジレンマに悩むところですが、日本は地震大国なのですから、
またいつの日にか何処かの地域で大震災が起こる事は確実なので、
その時に減災の役に立てるように、
どのような事、些細な事であっても伝えていくことが、
生き残った者や被災者を支援した人々の責務ではないかと思っています。
「誰かのために何かができる。」それは命あるからこそできる
優しさを具現化した力の輝きなのだから。
あらためて震災で亡くなられた6434名のご冥福をお祈りいたします。
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01月17日(水)
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