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あんた何様?日記
by 名塚元哉
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■「いただきます」は奥深い言葉。
ただ、そういう母親がいることも、認めないといけないと思います。

−−永さんは、どういう意味合いで「いただきます」を。

 ◆「あなたの命を私の命にさせていただきます」の、いただきます。
でも僕は普段、家では言ったり言わなかったり。ましてや、他人には強制しません。
絶対言わなきゃいけないとは思いません。きちんと残さないで食べれば、
「いただきます」と言って残すより、いいと思うんです。

 貧しい国には飢えて死んでいる人がいる。
日本で残して捨てているご飯があれば、
助かる子供たちがいっぱいいるわけでしょう。食べ物を大事にできているかどうか。
言わないのが「ひどい」と反対することではない、と思います。

 −−言っても、言わなくてもいいと。

 ◆普通に会って「こんにちは」、別れるときに「さようなら」。
何かの時に「ありがとうございます」「すみません」「ごめんなさい」という、
普通の会話の中に「いただきます」は当然入ってくると思うんです。
特別に「みんなで言おう」というのはおかしい気がします。
言っても言わなくても、大声でも小声でつぶやくだけでも、
思うだけでも、いいことにしましょう。

( 毎日新聞 2006年1月21日 東京朝刊 )

-----------------------(引用終了)---------------------------

>「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、
>と学校に申し入れた母親がいた」


まるでホリエモンみたいな考え方、拝金主義の極みでしょう。


人間である以上、他の動物・植物を摂取しないと生きていけません。

「いただきます」というのは膳に出された動植物の命を頂戴することによって、

私の命になり自分は今日も生きることが出来ますという意味を込めた感謝の気持ちと、

手を合わせて合掌するのは、動植物への供養の気持ちの現れです。

いずれも仏教から来てる訳で、まぁ宗教的ではありますが。

カトリック教徒も食事前に祈りを捧げていますね。

私は、自宅で家族と食事する時であれ、自宅や外出先で一人で食事する時であれ、

誰かと外食をする時であれ、「いただきます」を必ず言います。

ただTPOにあわせて声に出さない場合もあります。

私が言う「いただきます」の意味合いは、

先ほども述べたように、他の命を頂戴して生きているわけですからし、

その食材の元となった肉にしろ魚にしろ野菜に感謝。

その食事の材料を大変な思いをして生産している人達への感謝、

誰かが作ってくれているお陰で食べられる感謝、

私の命を繋ぐために与えてくれた命と、誰かが働いてくれたおかげで、

食事する事が出来る感謝の気持ちを込めての「いただきます」です。

また、外食ならば料理を運んでもらったときはその人に「ありがとう」

食べ終わって、厨房が見える場所にあれば、

そちらに「ごちそうさまでした。」と言って、

厨房が仕切られ他別の場所にある場合は、

お会計の時のレジ係りの人に「ごちそうさまでした。」言ってから外に出ます。

他にも、普通のお店で買い物をしても、商品を渡される時に、

商品を袋に入れてくれたお礼に「ありがとう」と言ってします。

このように感謝するというのは当然のことだと私は思っています。

「衣食足りて礼節を知る」と言う言葉があります。

意味は、生活に余裕ができて初めて礼儀や節度をわきまえられるようになるということです。

現代の日本は衣食は充分にありますが、

それと共に礼節をわきまえない人が増えました。

昔から最低限の常識が無い人はいましたが、

それでも、衣食が足らなかった時代の日本の方が、

礼儀を重んじ節度を保ってきた人が多かったのではないでしょうか。

金払っているから感謝の言葉は言わなくて良いと言っている人を見ると、

「礼節の国・日本」はどこへ言ってしまったのかという思いがします。


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01月21日(土)
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