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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『マクベス』『ずれる』
彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.2『マクベス』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

笑って笑ってその直後に襲ってくる巨大な寂寞感。悲劇と喜劇は紙一重、「眼前の恐怖より想像の恐怖」「悪事にかけては小僧にすぎん」、その声の虚しさ。吉田鋼太郎演出は台詞が立つなー(再)!『マクベス』

[image or embed]— kai (@flower-lens.bsky.social) May 17, 2025 at 22:12
魔女役、当初鋼太郎さんしかアナウンスされてなかったのでキングギドラみたいになるのかしらと予想してたけどちゃんと3人いたわ……キングギドラは夢と消えた。そりゃあの台詞量をひとりでやるのは厳しいですよね。実際聴くと本当にリズムの効いた美しい言葉の連なり。言葉、言葉、言葉の耳にうれしいシェイクスピアを上演する(と勝手に思っている)吉田演出がここを端折る訳なかろう。以下ネタバレしてます。

『笑ってはいけないマクベス』。過去イチ笑った『マクベス』だった。笑ってはいけないという笑わせる演出で、観客に罰ゲームはないので遠慮なく笑った。すごいのは演者たちだ、あれだけ笑わせといて瞬時にシリアスな本筋へと観客を引き戻せる。一幕最後、狂乱の宴席シーン。二幕序盤、魔女たちと戯れ幻覚を見るシーン。笑いとどよめきに溢れた客席が静まり返る。

幻覚に惑わされ醜態を晒すマクベス、フォローしようにもしきれないマクベス夫人の右往左往はスラップスティックコメディーそのもの。その後が見事。客人が帰ってしまい、めちゃめちゃになったテーブルを前に語り合う夫妻。あーやっちまったという後悔、今後は上手く立ち回れるだろうかという不安、縋れるものは互いしかいないという荒涼。世界にふたりだけ取り残されたかのような藤原竜也と土屋太鳳の寂しい会話、そして沈黙。静寂とともにすうっと消える照明。二幕で起こることを予感させる、ゾッとする幕切れだった。幕間なのに拍手が起こった。宴席後のやりとりは大好きな場面。暗転のなか気分が昂揚する、ひとりニヤニヤしてしまう。

魔女たちとマクベスがマイムマイムを踊る(!)二幕序盤でも、そのトーンは一貫していた。幻は消え、魔女たちは去る。なんだったんだ、あれ……と狐につままれた気分の客席を前に藤原さんが「……楽しそうにしやがって」とぽつり。ドッと沸く笑い。しかし間髪入れず放たれた「……皆行ってしまった」のトーンは、観客をあっという間にシリアスな物語へと引き戻してくれる。

藤原さんの声を堪能。明晰な台詞まわしとこいつやべーぞという叫びを地続きで聴ける。気味が悪い程の長い呻きは、崩壊していくマクベスの精神世界を見せられたようで身震いした。悲劇がいかに喜劇を孕んでいるか、あるいはその逆か。笑わせにかかる演出、それに抗う演者、そのせめぎあいこそが吉田演出の狙いだろうか。一歩間違えば芝居そのものが破綻するスリリングな手法だが、演者の力量を信用しているからこそのワザでもある。舞台に置かれた鏡に象徴されるように、マクベス夫妻の栄華には常に背中合わせで破滅が待ち構えている。そのどちらの絶頂も、観客は見せてもらえる。

伝達力のある台詞、喜劇へのアプローチ以外にも唸らされた演出がひとつ。終盤、バーナムの森がどう表現されるかな〜と楽しみにしていたところ、その前に頭をぶん殴られるような場面が待っていた。見どころはそこだけじゃねえぞといわれた気分。夫人の死が伝えられる場面だ。書き割りの屋台崩し(美術:松生紘子)にこれだけのインパクトがあるとは……マクベスの思い描いてきた未来が“堕ちた”瞬間が可視化されていた。あくまでも軽やかに、しかし徹底的な破滅。以後のマクベスは死ぬために生きているようにしか見えなかった。

そうそう、個人的にこの作品の贔屓はバンクォーとマクダフなのだが、そのうちのひとり、バンクォーを河内大和で観られてニコニコ。いやーホントこの方の口跡と立ち姿、所作は“鑑賞”に値する。鑑賞といえば土屋さんも姿勢のバランスがよく、登場時の背中が大きく開いたドレス(衣裳:西原梨恵)が映えていた。土屋さんはコメディエンヌの才もあるな。廣瀬友祐演じるマクダフも魅力的だった。ネクストシアターOBの面々も活躍されていてうれしい限り。


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05月17日(土)
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