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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■J-Theater『教育』
J-Theater 日本人作家シリーズ 近代⇔現代作家コレクション リーディング公演『教育』@下北沢・「劇」小劇場
近代⇔現代作家コレクション『教育』1954初演の作品だけどすごい今の話。「一部不適切」な用語があると注釈あったけど、いやいやこういうひと今もめっちゃおるでとしみじみした。あと原罪ってほんっと罪な概念よな!
演者が素晴らしく、当時の言葉遣いでも違和感なく現在の言葉として聴けました。 pic.twitter.com/7vPdSmAm3V— kai (@flower_lens) May 21, 2022
目の前にあるテキストを、表現の技術を持つひと、自分の身体を使いどう表現するか追究するひとが演じる。リーディングはとても豊かなものになる。
現代演劇を長く観ていると、なかなか上演には出会えないけれど名前は知っているという劇作家の名前は少なからずある。田中千禾夫もそのひとり。今回飴屋法水が出演するということで、これはいい機会だと観に行きました。
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演出・空間デザイン:豊永純子
父/瑠王(ルオウ):飴屋法水
母/絵礼奴(エレーヌ):岩崎聡子(オフィスKUMA)
娘の上司/翡江流(ピエール):石原由宇(演劇集団円)
娘/禰莉(ネリー):斉藤沙紀(劇団新派)
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母娘のもとへ月一度カネを渡しに来る父親。娘の出生の秘密。病院に勤める娘と、その医師との関係。対話によって浮かび上がる「罪」。
椅子は舞台上に3脚。舞台上部にはリボンで縛られ宙づりにされたマリア像。演者は基本座ってテキストを読むが、状況によって立ち上がったり移動したりする。その場面に登場しない人物は舞台袖の椅子に座り、効果音を担当することもある。効果音は鈴、カリンバ、瓶笛、サウンドホース(っていうのね……調べてみて初めて知った。あれですよ、ヒュンヒュンまわして音を出すチューブのことですよ。ハーモニックパイプともいうらしい)等で表現。
プロデューサーでもある小林拓生がト書きを担当。そう、ト書きも読まれる。そこで説明される登場人物の服装や動作が、実際の演者のそれと同じではないことが新鮮でもある。テキストだけ聴いていると紙幣だと想像される「カネ」が硬貨で、効果音のひとつになっているところも面白い仕掛け。
カトリック信徒ではあったが最後迄洗礼は受けなかったという劇作家の、神と女性への愛憎といえばいいのか、信仰と疑念が描かれる。女に生まれたばかりに背負うことになったという罪は、生まれる前から課された罪=原罪でもある。自分を「教育」しようとする父、母、そして上司に、娘は諦念と執着をたたえて向き合う。外科医を目指す娘が切開する肉体は血を流し、その血は罪で汚れている。舞台上にはない血の色が見えるようなテキストの力。
1950年代に書かれたとは思えない「今」の言葉が並ぶ。冒頭のツイートにも書いたように、「一部不適切」な用語は今でも悪意なく使われていることを実感する。言葉遣いは変えていない筈なのに、アクセントと声色のコントロールによって、時代を感じさせないものとして聴かせてくれた演者の力も大きい。ハラスメントの種がある言葉の数々をスマートに聴かせる。だからこそそれらの根深さが伝わる。上司役の石原由宇、巧かったなー……。マウンティングをギリギリかわいげとして見せることが出来ている。騙されそう(笑)。それは母親役の岩崎聡子もそうで、ふたりの男の間で揺れ動く女性の艶かしさが恐ろしくもかわいいのだ。そんな怪物ふたりと対峙する斉藤沙紀の達観、逡巡、狼狽。見事。
個人的には宗教が人間に課す罪悪感というものにすごいメラメラくるタイプです。というか、罪悪感を煽ってすがらせようとする宗教のあり方が嫌いなんじゃー。そりゃ人間生まれたときからあらゆるものの命を喰って二酸化炭素を沢山排出して自然を破壊して生きてますよ。この地球を守りたいいうたら自分が死ぬのがいちばんですよ。知っとるわ! そんな自然の摂理を罪だ罪だ責めたてやがって〜そもそも原罪って概念自体が罪だわいと思うのですが、罪を背負って生きなければとそんなことを考えてしまうくらい世の中は不条理に満ちているし、神様はいても見ているだけなのよねとしみじみしました。は〜。
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05月21日(土)
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