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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■Q『妖精の問題 デラックス』
Q『妖精の問題 デラックス』@港区立男女平等参画センター リーブラ(リーブラホール)
シアターコモンズ2022、まずは市原佐都子(Q)『妖精の問題 デラックス』。現実はホラーで、ホラーはときにひとを癒す。最後の彼女のひとことに心が軽くなる。生の肯定をこんな形で知らされるとは。初演を観ていないのだけど、能の構造もある? pic.twitter.com/TBmcBpDzFY― kai (@flower_lens) February 20, 2022
たまたまかも知れないけど、男女平等参画センターって場所がまた示唆的。みなとパーク芝浦内の施設です。同じ建物内にコロナワクチン接種会場があり、なんとも“今”な公演になっていました。
もともとシアターコモンズでは、Q×ノイマルクト劇場の『Madama Butterfly』の上演を予定していた。コロナ禍でスタッフ/キャストの招聘が困難となり、今作の上演が決まった。気になっていたものの観る機会を逃し続けていた『妖精の問題』を観られたこと自体はラッキー。
“デラックス”は東京初披露。ひとり芝居版もまたどこかでやってほしいが、この“デラックス”の出来が見事だったのでどうだろう。これが決定版となるのだろうか。
2016年に起きた、相模原障害者施設殺傷事件をきっかけとして生まれた今作。漫才の「ブス」、音楽劇の「ゴキブリ」、セミナー形式の「マングルト」。三部構成で、身体と言葉と音楽が暴力的ともいえる重量で殴りかかってくる。しかしそこには生への肯定がある。以下ネタバレあります。
ブスと自称する女性は、自分より下の人間を探して介護の仕事につくと語る。「平均的な顔」をマスクとして貼り付けた候補者は、政見放送で不自然な人間は生きている価値がないと語る。ラーメン店の近所に住む女性は、ゴキブリ退治と人間を殺すことの違いを考える。いくら人間を平均化しようとしても、上下が生まれる社会を考える。不要な人間とは何か? そもそも人類が不要なのか?
ところが、だ。ゴキブリ退治に励む女性は芋虫の姿をしたこどもの愛らしさを唄いあげ、マンコで熟成させるヨーグルト(=マングルト)に不潔だという根拠は何もなく、むしろ長所しか見当たらない。確かに膣内には善玉菌がいっぱいあるもんね、少し前に見たこんな記事でもヨーグルトとの関連性が書かれていたし、実は現実的なのかもしれない。では、何が不潔で何が清潔なのか? 自然と不自然の違いは何か? 何が優越感と差別を生むのか? 登場人物たちはその仕組みを、執拗に追究する。探求は凄まじいエネルギーをもって、キャパ100ちょっと、二部でつくるホウ酸ダンゴに混ぜ込んだりんごの匂いが判別出来るくらいの空間で、観客に投げつけられる。
圧巻は二部。妖精はここにいる。バレエを踊るこどもたちの情景の美しさが、登場人物によって唄われる。バンドメンバーはゴキブリの触角帽を被りクールに、しかし熱量高く超絶技巧の演奏を叩き出す。どこでブレスしてんだとビビる歌唱が続く。こちらも歌詞を聴きとるのに必死だ。だんだん口角が上がるのが止められなくなってくる。こういう音楽劇を観たかったんだ、私は。
『バッコスの信女』のコロスも素晴らしかったが、今回のキキ花香による歌唱、額田大志のバンドによる生演奏も圧倒的。詞先だと思うのだがよく音符に乗せられたな、そしてよく唄いきれるな。一触即発のプログレ好きなひとは聴きに行くのも一興。天井には提灯と、ミラーボールも提げられている。ピース。
最後の最後、長い暗転のあと、上演が終わったのか? と戸惑う客席に地明かりが灯る。どこから現れたのか、ひとりの女性が立っている。彼女は人間、いや、人体が環境に及ぼすとある効能を語る。
彼女は三部で映像に登場していた、既に死んでいる筈の人物だ。やはり能の構造か。今作の舞台(美術:dot architects)は、能舞台を再構築したかのようなつくりになっている。橋掛かりは客席に降りる花道にもなり(ご丁寧にも両端に花が飾ってある)現実と虚構を結ぶ。鏡板の部分はスクリーンとしても使われ、後座は漫才のステージ、地謡座に当たる部分は音楽劇パートのホームだ。そしてなんと、本舞台は客席(桟敷席)にあたる。演じる側と観る側の境目が融けていく。『妖精の問題』はもう、他人事では済まされない。
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02月20日(日)
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