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by kai
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■菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール コンサート2021 in オーチャードホール
菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール コンサート2021 in オーチャードホール

魂を捧げた相手は天使か悪魔か そしてやはりレクイエムの名手 pic.twitter.com/d5ujy48EOp― kai (@flower_lens) March 19, 2021
悪魔的な魅力を持つ音楽。同時にキュアな音楽。それ即ち官能でもあり、手に入れるには痛みを伴う。引き換えに失うものも多いだろう。永遠に続く楽団を夢想し乍ら、永い眠りにつく人々へ別れを告げる。喪失が、レクイエムになる。

ここ数年日程が合わず、久しぶりのPTA。十周年の品川以来か……弦楽カルテットがこのメンバーになってからは初めてだ(違うわ、2017年の『戦前と戦後+』以来だわ。このメンバーのカルテットをそのとき初めて聴いたんだわ)。今やっている仕事が水曜校了なので、昨年のサントリーホールも行けず地団駄踏んだものでした。PTAがサントリーホールなんて痛快な出来事、菊地さんご本人もいっていたがこんなときじゃないとなかろうよ。いやでもまたやってほしいです。

2010年の『武満徹トリビュート〜映画音楽を中心に〜』に「菊地成孔プロジェクト」として出演したときの編成もほぼPTAだったが、オーチャードホールでの単独公演は2009年、実に十二年ぶりとのこと。武満の企画は震災後の混乱で頓挫してしまった、と話していた大友良英は先日、震災直後から続けていたディレクター業を終了するとツイートした。今後のことは知る由もないが、気長に再始動を待っている。ちなみにこのとき菊地プロジェクトは「ピアニストのためのコロナ」を演奏している。こんなところに符合が生まれるとは誰も予想していなかっただろう。それは偶然でもあるのだが。

十二年前(振り返るとこのトークイヴェントのやりとりが興味深い)にひとつの完成形を見た、オーチャードホールの音響──生音とアンプを通した音のバランスはそれはもう見事だった。弦の微弱音、ヴォーカルのブレスとタンギング、パーカッションの打撃音。どれもがエレガントに、同時に野蛮に響く。各ソロが長くなっている。「自慢のメンバー」が、水を得たペンギンのように演奏する。「Killing Time」における1st vnのソロは歴代のプレイヤーが名演を残しているが、牛山さんの演奏もまた歴史に刻まれた。高音のトレモロが空間を鋭く鳴らす。

今回改めて、菊地さんの構成・演出の力量に感服させられる思いだった。「CARAVAGGIO」のMC〜リーディング〜歌唱の構成に舌を巻く。もともと聴衆を自分の世界に引きずり込む魔法を持っているひとだが、それがより切実になっている。ベタないい方をすると、生き様、ひいては命そのものを音楽として鳴らす魔法だ。大きな怒りと悲しみ、そして混乱。

曲順を間違えたか「Killing Time」のカウントを「嵐ヶ丘」で出してカルテットを戸惑わせ、ごめんごめんと笑う。「自慢のメンバー」のソロを誰よりも笑顔で聴き、踊る。ホールで鳴らす一本締めの、異様に美しい響きに喜ぶ。耳に負担がかかっている。ピッチが揺れる。そのうえ今回は、本人も苦笑していた通り花粉症が酷く、鼻声だ。デメリットだという意味ではない。そこから零れ落ちる音楽は何もかも痛みに満ちていて、同時に治癒をもたらす。癒しても癒しても痛みがなくなることはない。だから音楽を鳴らし続ける。リアルタイムでカラヴァッジオに熱狂していたひとは、どんな思いだったのだろうと考える。

人生の終わりが視野に入ってきたとき、狂った指揮官は何を考える? オーケストラというクラシカルな編成の楽団は、楽譜があれば歩みを続けることが出来る。そこに作曲者や指揮者が不在でも、DNAのように音楽家を乗り物に、音楽は鳴り続ける。楽曲が残り演奏を続けられることを伝統芸というなら、それをよしとせず終了するDC/PRGではなくPTAにこそ適性がある。しかしどちらも、気の狂った指揮官の不在が何かを変質させるだろう。そして当代の演奏を聴けるのは今だけだ。


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03月19日(金)
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