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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『あの出来事 The Events』
『あの出来事 The Events』@新国立劇場 小劇場
つくづくこういう会話劇が好きなんですけど、ふたり芝居のつもりで行ったら合唱団のひとたちが出ていて驚いた。でもそのアンサンブルがとてもよかった。 #あの出来事 pic.twitter.com/Bg5A6kCpi7― kai (@flower_lens) November 17, 2019
アンサンブルというよりコロスという方がぴったりきますね。舞台上にいるけれど、場面上いないという解釈も出来る。あのひとたちは生き残りでもあるし、既に亡くなっているひとでもある。そのひとたちの視線、声、表情を観客は見ることが出来る。
スコットランドの劇作家であるデイヴィッド・グレッグの作品。翻訳は谷岡健彦。2011年にノルウェーで起こった連続テロ事件がモチーフ。公共施設で市民合唱団の練習が行われている。合唱団には誰でも参加出来る。唄ってもいいし、気分が乗らなければそこにいるだけでもいい。誰にでも開かれているその場所へ、ひとりの少年がやってくる。合唱団を指導する女性クレアは、笑顔で少年を招き入れる。
銃撃により多くのひとが亡くなるが、その場面は上演されない。クレアと彼女に向き合うひとびととの会話から、そこで何が起こったかが浮かび上がる。極右思想を持っているとされる少年と対峙し生き残ったクレアは苦しみ続ける。眠れず、万引きをし、極端にスピリチュアルな思想に染まり、パートナーと距離をおこうとする。下着姿で徘徊し、被害者という立場を盾にする。精神科医との対話は『動物園物語』のように噛み合わない。鈴を転がすような声を持つ南果歩の台詞まわしが光る。ソプラノによって奏でられる憎しみ、殺意、憐れみ、傲慢さ……それは全てクレアの苦しみそのものだ。『シークレット・サンシャイン』を思い出す場面も。犯人への赦しは信仰だけで叶えられるものではない。
クレアと対話し、彼女の助けになろうとする複数の人物を全て演じるのは犯人の少年役でもある小久保寿人。クレアのパートナーである女性、犯人の父親と同級生、精神科医、保守系の政治家、通りがかりの青年。政治家のときだけコロスのひとりからジャケットを借りるが、他は犯人と同じ白いTシャツにジーンズのまま。落ち着いた声のトーンで役を演じ分ける。声色が極端に変わる訳でもないのに、すぐに役の変化が伝わる。これは舞台にしか出来ない演出だ。近年は映像での活躍が目立つが、こうした舞台ならではの演技やしなやかな身のこなしを空間込みで観られるのはうれしい。
両者のやりとりで浮かび上がるのは犯人像だけではない。宗教観、性別、社会的立場。それらは全てクレアに、そして観ている側にも返ってくる。多文化に寛容なのは自分が優位な立場にいるからなのだ、と主張する犯人の言葉にすぐ反論することが出来ない。コロスはときに個人の像を結び、犯人とクレアに語りかける。字幕には「即興/Improvised」と表示される。この日「デイヴさん」は犯人に「外国人はきらい?」と問い、「シンクレアさん」はクレアに「今の合唱団は楽しくないんです」といった。スピリチュアルなダンスを提案されたとき「なんで僕たち、回ってるんだろう?」といったひともいる。あとで知ったが、彼らはコロスのなかから日替わりで選ばれているそうだ。私が観た日の「デイヴさん」は白人の見た目だったがこれはたまたまで、違う日には日本(東洋)人が演じることもあるらしい。こうした見た目のわかりやすさは日本での上演だからであって、違う国ではどういう印象になるのだろうとも思う。
原題は『The Events』。イヴェントという言葉にはハレのニュアンスを感じていたが、これは和製英語としての意味合いなのか、と気付く。いいこともわるいことも、楽しいことも苦しいことも、すべて「あの出来事」なのだ。演出は瀬戸山美咲。さいたまネクスト・シアター遵Kの『ジハード ―Djihad―』も演出しており、さまざまな価値観のコンフリクトを見つめ続けているひとだ。小久保さんはここでもテロリストの役を演じていた。
幼く無邪気で、愛情に接する機会が(少)ない。彼らは争うことしか知らず、分断しか知らない。銃を向けた女性ふたりの答えにより、犯人は「知る」ものがあっただろうか? 結果起こったことに希望を見出したい。
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11月17日(日)
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