ID:43818
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by kai
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■六月大歌舞伎 夜の部『月光露針路日本 風雲児たち』
六月大歌舞伎 夜の部『月光露針路日本 風雲児たち』@歌舞伎座
六月大歌舞伎『月光露針路日本 風雲児たち』。楽しい場面も多いのだけど、あの時代、異国に流れついた者たちにふりかかる試練があまりにも過酷で……神様は見てるだけだなー。『日本の歴史』にも通じる構成で、ロシア人に「見世物」とされても奮闘する光太夫の奮闘に涙 pic.twitter.com/VpaMoTbR2S― kai (@flower_lens) June 8, 2019
奮闘と二度書いてしまう程に奮闘してましてね……(投稿する前にちゃんと読みなおしなさい)。三谷幸喜が歌舞伎座で初の作・演出、原作はみなもと太郎の『風雲児たち』。これの「蘭学革命篇」は、昨年三谷さんの筆でドラマ化されていますね。今回は1700年代末、大黒屋光太夫の漂流譚を舞台化です。以下ネタバレあります。
スーツ姿の尾上松也が登場、「先生」としてこれから観るお話の背景についてレクチャー。舞台と客席を繋ぎます。この辺り、『日本の歴史』でもとられた手法ですね。慣れたものでのっけから質問を募る(笑)。観客も心得たもので、積極的に手を挙げる。そこで出るのは「今つきあっているひとはいますか?」「好きなスイーツは何ですか?」、大ウケです。松也丈も「芝居のことじゃないのか!」などといいつつ「そんなこと、ここでいう訳ないだろう!」「パレスホテルのマロンシャンティイです!」と積極的に絡む。すっかり和んだところから一転、キリリと口上。切れ味鋭い語りで一気に観客を引き込みます。
謀叛を恐れた徳川家康の令で、船に帆柱を一本しかつけられなかった時代。不安定なそのつくりが長い航海に耐えられる訳もなく、多くの遭難事故が起きることとなった……。これ、結構衝撃でした。確かに当時の日本の船って独特な形だけど、単に材料とか技術不足だと思っていた。酷い話だ、家康ってやつはよお……。物語はここから始まります。伊勢から江戸へ行く筈が、辿り着いたのは遠き露西亜。そこから苦難の十年間。「来年の正月は日本で迎える」「皆一緒に、日本へ帰る」。その一心で奮闘した船頭・大黒屋光太夫とその仲間たち。
八ヶ月の漂流、最初の島で四年を過ごす。海路と陸路を移動し、大帝エカテリーナに謁見し、日本に戻れたのは遭難してから約十年後。その距離と時間を考えただけでも、どれだけの苦難だったかは容易に想像がつく。筋書に載っていた地図(イヤホンガイドを借りたひとにもおまけでついたそうです)を見て、改めて気が遠くなる。だいたい最初の、漂流で八ヶ月て……。言葉がわからない、食べるものも違う。慣れない土地で病にかかる。17人の水主たちが、櫛の歯が欠けるように死んでいく。船頭の自信に欠け、帆柱を折れと指示しなければと後悔していた光太夫(幸四郎)は、試練を経る度強くなる。船上では頼りなかった磯吉(染五郎)は自分の語学の才に気付き、現地のひとたちと水主の橋渡しとなる。たくあんを独り占めするような個人主義だった真蔵(愛之助)は仲間を思う気持ちを、ひねくれた不平ばかりいっていた庄蔵(猿之助)は素直さを身につける。
「ひとは変わる、いくつになっても成長する」。三谷さんが得意とする群像劇は、こうして笑いと涙を誘う。「信仰」もだいじな要素で、庄蔵と真蔵は仲間のために神を選び、光太夫は神に見切りをつける。『日本の歴史』の弥助と信長同様、異文化から好奇や蔑みの目で見られること、興味と共感が尊重と敬意に変わることも描かれる。原作があっても、劇作家の書きたいこと、伝えたいことはこうして顔を出す。
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06月08日(土)
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