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by kai
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■『オイディプスREXXX』
『オイディプスREXXX』@KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ

芝居納め。ギリシャ悲劇『オイディプス王』を河合祥一郎の新訳、杉原邦生の演出で。タイトルの「REX」は王の意、「XXX」はコロス以外の役を演じ分ける三人のキャストと物語に繰り返し登場する三つの道、とのこと。REMIXの意もかけているかな、鳥の目を持つ杉原さんにはぴったりの題材ではないかと思っていたのですが、まさに、な仕上がりでした。ここで忘れないでおきたいのは、杉原さんは常に古典に敬意を持って接し、2500年も前から演劇が続く意味を考え続けていること。空間だけでなく、時間も鳥瞰となる。ポップでモダンな演出のもと、台本の台詞と役者たちの芝居は真っ向勝負。杉原演出だからコロスはラップだろう、とかカラフルなステージングになるだろう、とかこちらは観る前に予想する訳で、実際そうなる。それでもこのひとが手がける作品は必ず「現代から古典をしかと見つめる」ものであり、「変わらない」ものに対して非常に真摯な目を持っている。

入場と同時に目に入る装置や美術に驚かされる瞬間が大好きなのですが、杉原さんの作品にはそれがある。今回はこれでした。鳥肌。
オイディプスREXXX、当初会場はNOAHの聖地ディファ有明を予定していましたが惜しくもこの夏閉館したため別会場にて客席総仮設八面囲いにて開催いたしました。
まあ前半は冗談ですが、バラすのに8時間かかったのは本当です。
皆さまお疲れ様でした! pic.twitter.com/gA8me2u3wQ― 藤田有紀彦 (@GxYukihiko) December 25, 2018
(今作の舞台監督・藤田有紀彦のツイート)

古代からの劇場構造であるコロシアム式の客席が、最新の機材で組まれている。ギリシャ悲劇を上演する場、を観客にまず意識させる。蜷川幸雄演出の『2013年・蒼白の少年少女たちによる「オイディプス王」』もこの配置だった。この手法はさい芸でネクストシアターやゴールドシアターの作品を上演する際よく用いられ、ステージを囲む三面が客席となっていた。今作は四面全てを客席とし、演者は四方の角から入退場する。「空間構成」としてフジワラテッペイアーキテクツラボがクレジット。プラン出しは杉原さんが行ったのではないかな。席数とステージの広さを考えればこれ以上拡げられなかったということもあろうが、客席の傾斜はかなり急。最後列だったもんだから壮観です。こ、こええ! 照明が近い。NBAの試合を観るのってこんな感じか? 正方形のステージがリングにも見え、格闘技を観る気持ちもこうか、などと思う。古代、格闘技も劇場で行われた。この過剰さも蜷川さんの遺したものかもしれないな、と思う。幻の師弟関係だったふたり、蜷川さんが観たらどう思うだろう、きっと悔しがってすぐ「ネクストで上演する!」とかいったかもしれないな。と、通路挟んで隣の席からメモをとっていた杉原さんを見て思ったのでした。

閑話休題。それにしても何度観ても酷い話だよ……今回コロスにすごいイラッとしたわー変わり身の早さというか、あんたたちさっき迄あんなに持ちあげて讃えてたじゃん! という。だんだん「オイディプスが(知らずに)したことってそんなに忌み嫌われなきゃならんもんかな」と迄思えてくる。「HERO」を引きずり出し、消費してぽいと捨てる。狂乱に陥り慟哭する当事者をドン引きして遠まく、現代的=普遍的な民衆の姿が見える。軽やかな残酷さを、6人のコロスが表現する。それぞれに役名があるところにも注目。民衆は個人の集まりだが、民意は個人の思い全てをフォローしえない。対面式の客席。向かい側の観客に目をやる。眉間に皺を刻み込んだ男性がいる。口を覆う老婦人がいる。ああ、ここにもコロスがいる、民衆がいる。あちら側から見える自分もそうだろう。この世界には、黙して語らず、ただただ「HERO」の行く末を案じていたひとたちもいた筈だ。演出は彼らのことも掬い上げる。自分はどっちだ?! 音楽はTAICHI MASTER、作詞とラップ指導は板橋駿谷。『グッド・デス・バイブレーション考』で強烈な印象を残した肉体派が、その姿を晒さず存在感を見せる。


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12月22日(土)
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