ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■Jun Miyake『Lost Memory Theatre』The Concert
Jun Miyake『Lost Memory Theatre』The Concert@KAAT 神奈川芸術劇場 ホール
三宅純『Lost Memory: Theatre The Concert』。あの劇場が帰ってきた、待ってた。今日からのBLUE NOTE公演とセットリストは被るかもしれませんが、KAATにしか現れない光景を観ることが出来ました。この劇場にくれば宮本大路にも江波杏子にも会えるのだ pic.twitter.com/A1yXmGGADx― kai (@flower_lens) November 23, 2018
(へんな位置に「:」が入ってますがご勘弁を)
初演のパンフをすぐにとりだせるところに置いているくらい好きな作品。今年頭だったか、それとももう昨年のことか、この公演のスケジュールが発表になってから首を長くして待っていた。その間、江波さんが亡くなった。『豊饒の海』から『テラ』の流れで、生まれかわりについて考える。そして今日は、故人とともに失われる記憶のことを思う。ひとが死ぬのは、そのひとについて誰も語らなくなったとき。そのひとの記憶を持つひとがいなくなるとき。そんな失われた記憶たちの棲む劇場が帰ってきた。待ってた。
入場すると視界いっぱいに現れたのは巨大な書庫。書棚も、そこに収められた書籍も真っ白だったので『Defiled ―ディファイルド』を思い出す。このステージアートは中越司によるものだろうか? なんて思う。プログラムには「空間構成:白井晃、美術協力:木津潤平」とある。三宅さんの話によると「この前に行われた公演のセットをとっておいてくれた」んだそう。ああ、『華氏451度』のものか! 行けなかったんだよ〜、残念。それはともかくこのセット、記憶の書庫としてのイメージも備えていてぴったりでした。壁いっぱいに拡がる白の背景は、プロジェクション・マッピング(映像協力:宮永亮)のスクリーンとしての機能も果たす。これが圧巻。照明は大石真一郎らKAATの腕利きたち。この劇場でしか観られないこの劇場! ややこしい! 「『Lost Memory Theatre』がこの劇場で上演されてから、我々はふたりの仲間を失いました。今日のコンサートは、宮本大路さんと江波杏子さんに捧げたい」。背景に江波さんの姿が映し出されたときには思わず落涙。
「皆さんの緊張が伝わってきて……」。最初のMC、三宅さんが苦笑とともにぽつり。確かに出演者より観客の方が硬くなっていたように感じました。なんだか拍手すら硬かったですもんね(笑)。『Lost Memory Theatre』という舞台作品を経てのコンサートですから、「静かに鑑賞しなければ」という気負いが聴く側にあったのかもしれません。そんな構えを解いたのがリサ。三人の歌い手を擁するこのオーケストラは、曲ごとにメインヴォーカルが入れ替わる。自分が唄う曲になり、センターマイクに立ったリサは「ハロー、」と挨拶。パラリと拍手が起こるとギョッとしたように肩をすくめる。まるで「あ、ひと、いたのね?」とでもいうような表情。大きなホールや洞窟で「あ!」と叫んでそのエコーを楽しむいたずらっ子のようなその挙動に、客席からは笑いが起こる。彼女は自分が唄う番になる度、そうして観客に手を差し伸べていた。演奏の熱にうかされるように、ホールもあたたまってくる。三宅さんも中盤には「大丈夫ですか、皆さん、ついてきてますか」というMCに。
<Set 1>は昨年秋にリリースされたシリーズ完結作『Lost Memory Theatre - act3 -』からのナンバーを中心に、<Set 2>では慣れ親しんだ楽曲を交えたベスト選曲。四年前と大きく違うのは、ブルガリア・コスミック・ヴォイセズの合流(二年前の公演には参加していた)。PA(フィリップ・アヴリル、zAk)の妙もあり、三人なのに十人分くらいの声の層。またこの方たち、とても楽しそうに唄うのです。カラフルな民族衣装もかわいらしく、聴き入るこっちもすっかり笑顔。コンダクターのヴァーニャも歌に加わった、エフェクトなしのトラディショナル曲も素晴らしかった。ライヴで聴けるなんて最高の贅沢。二年前のリオ五輪閉会式、フラッグハンドオーバーセレモニーで披露された「君が代」もおそらく彼女たちが唄っているのですが、いつかコンサートで聴けるかしら。難しいかしら。
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11月23日(金)
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