ID:43818
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by kai
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■NYLON100°C 46th SESSION『睾丸』
NYLON100°C 46th SESSION『睾丸』@東京芸術劇場 シアターウエスト

50年前(1968年)の出来事を、25年前(1993年)から振り返る。そこからまた25年経った今(2018年)、彼らはどうしているだろう? 過去は変えられず、未来は予想出来ないことばかり。清廉潔白なひとはどれだけいる? 罪人に石を投げられるひとはどこにいる? 過去の自分はどこ迄も追いかけてくる、巡り巡って大切なものの未来を破壊する。面白いやら怖いやら、終盤のあの台詞、そしてあの幕切れ(暗転のタイミング含)!

ナイロンで芸劇? というところが不安でもあり楽しみでもありました。芸劇のイースト/ウエストって、舞台美術を活かすのがなかなか難しい印象を持っていたのです。ハコ(劇場を指す言葉ではなく、文字通りの箱)っぽい形状で、フリースペース使いが出来る(ステージの位置を移動出来る)けれど、それを巧く利用した作品をあまり観たことがない。しかしそこは流石のナイロン。客席前方を斜めに切り込み、作品世界の「庭」を作りました(美術:香坂奈奈)。暗がりの客が庭というわけです。観客は侵入者のように、息を潜めて家の中を覗き込む。見あげるかたちになるので、家屋の上方迄見渡せる。一見豊かな生活を送る家庭、その壁の上方や一部だけ構えられた天井に大きなシミがあるのを発見する。そこでくらしているひとたちは、徐々に拡がっていったであろう住処のシミに恐らく気付いていない。物語が不穏な方向へと進んでいく度、そのシミが大きくなっていやしないか、ますます拡がっていやしないか、と何度も確かめた。プロジェクションマッピングによる映像(毎度冴えてる&FICTION!仕事!)を使った暗転と、ラストシーンの暗闇に唸る。そうだ、芸劇イースト/ウエストにはこの暗闇があった! この劇場に感じるあのじっとりとした暗さは、作品に活かせる暗さだったんだ。初めて実感した。

学生運動の高揚を忘れられず、その思い出にしがみついている男たち。忘れようとしている女。とあることから彼らが再会し、幻となった芝居を上演しようという話が持ち上がる。「墓場迄持っていく秘密」があるという女はその秘密を案外イージーに披露し、案外イージーに流される。あの時代ってそういうもんだったんだよと。セクトをまとめようと奮闘していた悲劇のリーダーはちいさな器な人物で、それもその時代だとカリスマに見えるものだ。女にしてもリーダーにしても、一生癒えない傷を持っている。ただ、それは他人からすれば忘れてしまえるし、水に流せてしまうことだ。突き出した包丁で、差し出されたピーチネクターで。そして、当人が意識していなかったところで悲劇は起こる。

あれなのよな、最近でいうとパパラッチを撃退した○○かっこいい! と画像を拡散する行為が、結局はそれを撮影したパパラッチの思うツボみたいな結果になってしまう仕組み。拡散したひとたちはそれをどこ迄意識しているんだろう。なんてこと迄考えてしまった。死ぬ迄失敗は許されない、一度の過ちも許されない。過去の自分にどれだけ責任を持てる? そして作品世界から四半世紀を経た現在、舞台上で彼が発した「見せないんだよ」という行為がどれだけ困難なことになっているか。同時に、見せられたとしても堂々と責任をとらない風潮になりつつある今の時代にふと背筋が寒くなる。知らないと言い張ればいい、証拠があれば抹消すればいい。これまた四半世紀後にはどうなっているやら。


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07月15日(日)
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