ID:43818
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by kai
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■さいたまネクストシアター遵K『ジハード ―Djihad― 』
世界最前線の演劇 1 [ベルギー]さいたまネクストシアター遵K『ジハード ―Djihad― 』@彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO

『ジハード』観てきました。ベルギー出身のモロッコ系移民2世の劇作家、イスマエル・サイディ作品。移民2世故、親の信仰をそのまま身につけまるで遠足のように戦闘に参加する3人の若者の行く末。遠い国の話のようで個人的には非常に身につまされる内容 pic.twitter.com/QgFyqLjt56― kai (@flower_lens) June 30, 2018

『世界最前線の演劇 1 』。今後シリーズ化していくようです。もともとは国際演劇協会(ITI)日本センターの『紛争地域で生まれた演劇』シリーズでリーディング上演されていた作品。ネクストの堀源起が上演してみたいと手を挙げて実現した公演とのこと。

冒頭、堀さんが作者の言葉をモノローグとして語る。観客はこの作品の登場人物たちについてどう思うだろう。決して特別な存在ではない彼らを身近に感じてくれるだろうか、愛してくれるだろうか。果たしてジハードへと向かうイスラム教徒は、自分たちの隣にいても何ら違和感のない、愛すべき三人の青年たちだった。プレスリーが好きで、ドラゴンボールが好きで、愛する彼女との結婚を夢見る若者だった。

彼らが恐れられる理由は何もない。屈託のない会話のなかから観客はイスラム教の戒律を知っていく。何故ロックを聴いてはいけないのか? 何故キャラクターを描いてはいけないのか? 宗教を信仰していないひとたちの疑問をひとつひとつ解いていく。そこには何も、攻撃的なものは見当たらない。ジハードという言葉は、もともとは「頑張る・努力する」というアラビア語の動詞から派生したものだそうだ。それがいつから「聖戦」という意味を持つようになったのだろう。そんなことを考え乍ら観ていくうちに、信仰とは違うところから生まれる意識が浮かびあがってくる。

移民二世である彼らは、生まれたときからイスラム教を信仰することになる。躾と戒律はほぼ同義になる。教典を自発的に読み、教義に納得しているこどもたちはどのくらいいるだろう? 生活習慣にも密着するため、異なる地域、文化に馴染めずコミュニティはどんどんちいさくなる。アラブ系の顔立ちから差別されると同時に、生活する土地との同化を強いられる。彼らが戦闘に参加する理由は、その宗教の教えからではない。それに本人たちも気づいているが、家族や「兄弟」と呼びあう同胞との関係を断ち切ることが出来ない。その矛盾が顕在化するのが教会での出来事だ。

妻を亡くして落胆する男性に「兄弟」と呼びかけ、貴重な食べものを分け与えたのは彼がアラブ系の顔立ちだったから。彼の名前と信仰を聞いて三人は狼狽するが、それは全く自分たちにも当てはまることだ。その国で生まれ育ち、その国由来の名前を持っていても、その土地の者とは認められない。日本で生まれ育った堀、竪山隼太、小久保寿人と、ドイツ出身の鈴木彰紀の対比は、今作が日本で上演されるひとつの意味を与えていたようにも思う。彼らは遠い国の登場人物を、観客の傍に引き寄せてくれた。友人、兄弟となれたかもしれない人物として。

身近なこととして受けとめたのにはもうひとつ、個人的な理由がある。親や「兄弟、姉妹」からの教えにはどうしても矛盾がある、と気づいた体験が自分にもある。信仰というものは、自分が生きていくうえで心の支柱にするもので、それ以上でも以下でもないと決めたのはそのあとだ。宗教に喰われてはいけない。その教えに絡めとられてはいけない。こう解釈すればオッケーだもん! とか悔い改めればいいんだもん! という抜け道……というと怒られそうだが、常にそうしたアイディアを持っておかなければ、他者との軋轢が攻撃に化けてしまう。あくまで信仰は他人を救うものではなく、自分(だけ)のよりどころにしなければならない。作中ではアイラインというメイクだったり、落書きだと言い張れる絵というかたちでヒントが示されている。


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06月30日(土)
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